第一話 「不穏な始まり」  天国、地獄、煉獄。死後の世界は数あれど、そこを見たことのある人間というのは少ないように……というか、俺は居ないと思う。  なぜかって? 簡単だ。人間に死後の世界って奴は存在しない。永遠に現世に縛られ続ける。  その縛られているのは俗に言うなら魂だろうな。  肉体はいつか必ず、滅びる。それが外的要因にもたらされるか、それとも時間の経過によってもたらされるのか……。  どちらにせよ、結果は変わらない。  そう、結果は変わらないんだ。  魂は肉体の滅びと共に現世に放り出され、そして、以前の記憶や意識を引き継いだまま、途方に暮れる。  途方に暮れた魂は何をすればいいか分からない。他人からは認識されない、自分は死んだはずなのに、まだこの世にいる。  やがて、彼らは願うようになるだろう。元の世界に、帰りたい。  そんな状態になったことがないから分からないが……発狂物だろう。  なんせ、その状態で長い間こちらに留まっていれば、自我が崩壊していく……らしい。  事実、彼らは自我を完全に失い、発狂する。発狂した彼らは化け物となり、俗っぽく言うなら……そいつらは、幽霊かな?  ただ決定的に違うのは、そいつらは映画や漫画のような、人間の形を保った幽霊ではない。  体はもはや人間の物とはお世辞でも呼べない物に成り代わってしまっているのが殆どだ。  その化け物の姿を、朧皮(おぼろび)と言う。  朧皮を纏った魂は、遅かれ早かれ、朧皮を本来の肉体のようにし、遂には現実にその姿を現すようになる。  念願の現実に帰ってきた時……残念ながら、彼らの自我は完全に失われている。  ただ、帰ることを願い……彼らは目指す。目指す先は人であり、場所でもある。  それを……帰巣本能、とでも言うんだろうか? 呼び名はどうあれ、それが目覚めた彼らは、忌むべき存在となる。  ここはまぁ、ドラマや映画の世界だな。  そしてお約束通り、そいつらを倒す人間達も居る。  無自覚に人を呪い、襲う。そこを通るだけで災厄をまき散らす奴らの脅威を、普通の人間は正体に気付くことはない。  気付いた時には死者の列の新たな参加者となっているだけ。そしてまた、同じようなことが繰り返される。  そして、俺は……今、ここで生きている人を脅威から守る、そんなことを生業にしている狩霊者の一員。ただ、最近こう思うんだ。  人間はいつか死ぬ。だから、俺のような奴らがこんなことをしたところで、結果は何も変わらないんじゃないか、ってな。  日本のある都道府県のそこそこ都市部に近い町、御影(みえい)市。  場所は、昔からここに住んでいる人々が集まっている住宅街。その中で一際大きな家の庭に、彼は居た。  耳元で風を切り裂く音が響く。反射的に首を傾け、とても命を狙っていないとは思えない一撃を躱す。  難なく、とは言わないが、躱した俺を見て満足そうな声が聞こえてくる。 「腕は落ちていらっしゃらないようで」 「随分なご挨拶だ」  目の前のおねーちゃん、追撃の手は休めてくれないらしい。ロングスカートにも関わらず、身軽に足を振り上げて必殺の回し蹴り。  なんとか躱すも、間髪入れずに二回転目。さすがにこれは躱しきれず、右腕でそれを止めるしかない。  重い衝撃が右腕に走る。悲鳴をあげたくなるほど痛いが、まぁ、再起不能になるほどではない。  受け止めた俺を見て、やはり嬉しそうに笑った。その笑顔が酷く癪に障るので、こちらから仕掛ける。  懐に滑り込んで、体勢を低くし、素早く足払い。が、簡単に躱される。全く動じないのに、少しため息。  少しでも動じさせてやろうと、今度は精神的な揺さぶりをかけてみる。 「その回し蹴り、屈んで躱したらパンツ見えるぞ」 「そういうのに興味ないあなたがそういうこと言っても、大して揺さぶりにはなりませんよ。おぼっちゃん」  実際、俺以外の奴にも同じようなことを言うくせに。俺は軽く肩をすくめる。 「おぼっちゃんはやめてくれ。……それに、俺は体術は好かんのよ」  そう言って、腰の刀を見せつける。つまらなさそうにふん、と鼻で笑う。彼女曰く拳がなんぼ、だそうだ。  目の前のおねーちゃん……俺のお目付役兼身の回りのお手伝いさん。後半は有名無実だけど。 「刀の扱いも、結局は体が伴っていなければならないのは、あなただって分かっているでしょう?」 「律華(りつか)に言われなくても知ってる」  律華。もしくはりつねぇ。またはりつねぇさん。呼び方は俺の気分。 「ふぅ……」  これだから分かっていない人は、と言いたげな律華の表情。殴りたくなるが、殴る蹴るじゃ絶対勝てないのでそんなことはしない。 「ため息吐きたいのはこっち。朝叩き起こされたと思ったら、そのまま組み手やらされるなんて。たまったもんじゃない」  俺のうんざりした口調もどこ吹く風。俺、よくこいつをガキの頃から側に置いてるな。 「今日は新学期の始めなんですから。去年までのぐだぐだした気分を一新していただきたいんです」 「それはお前だろ。春休みだからって実家に帰りやがって……」  お手伝いのクセに(何度も言うが有名無実だ)お目付役のクセに、律華は実家に帰っていた。  気分が浮かれる長期休暇だからってちゃらんぽらんするつもりは毛頭無いが、普通お目付役はこういう時に本領発揮するんじゃ無かろうか。  実はこの人、俺に寄生してるだけなんじゃないだろうか。  などと思っていると、律華が腕時計に目を落としながら言う。 「まぁまぁ、お互いにリフレッシュできたということで。あ、朝ご飯食べに来るんじゃないですか? そろそろ」 「何時?」 「七時です」 「だな。……律華、ま、礼は言っとくわ。目ぇ覚めた」 「なら良かった。さって、お仕事お仕事〜」  るんるん〜なんて言いながら、律華は縁側の方へ消えていった。それをうんざりしつつ見送り、俺は台所に向かった。  台所で昨日の内にスタンバイを済ませていた炊飯器のスイッチを入れたり、野菜を切ったり、みそ汁の味噌を研いだりしていると、ガチャっという音と共に、眠そうな声が聞こえてきた。 「おはよー」  亡霊のような足取りで、俺の幼馴染み、水上麗(みなかみれい)が長い廊下を歩いてくる。玄関から居間までの間に台所があるので、丁度目に入ったのだが。 「死んでるな、お前」 「あによ?」  寝ぼけ眼で麗は足を止めて睨んでくる。可哀想に、自慢の黒い長髪が滅茶苦茶な事になっている。寝癖ぐらい直してこいよ。 「悪いが、今日はケンカを買えるだけのやる気は残ってない」 「聞こえてたわよ……」  ま、あれだけ派手に殴る蹴るやってたら聞こえてるか。お隣さんだし。 「それと、その凄まじすぎる髪、後で直させろよ? さすがにその頭で外に出られちゃ敵わない」 「ふぁーい」  そして、幽霊のような足取りで麗は食卓に着いた。程なくして寝息が聞こえてくる。 「夜更かしでもしたのかね」  返事なし。本格的に爆睡か?  ちなみになんでこいつがわざわざ、俺の家に朝飯を作りに来ているかというと。  おばさん――こいつのお母さんだが、おばさんはどこぞの有名ホテルで料理長なんてのをやっている。  もう、毎日が戦場らしく朝の四時ぐらいに家を出る、なんてことがほとんど。  おばさんもそんな生活をしていて、毎日朝食を用意できるはずもない。  そこで、愛弟子である俺にお鉢が回ってきたってわけ。そうだな、中学ぐらいからか、ずっとこいつの朝飯は俺が作っている。 「相馬、お手伝いできることある?」  私服に着替えた律華が台所に顔を出した。 「ないない。大人しく、飯を待っていてくれ」 「麗ちゃん、爆睡ね」 「何やってたんだが。間違っても、料理を手伝わないでくれよ?」 「はいはい。……落書きでもして遊んでようかしら」 「やめろ」  年上なのにガキっぽい人である。  さっさと朝飯作るとしよう。  素早く作り上げた白いご飯にみそ汁、野菜の盛り合わせなんかを食卓に運ぶ頃には、麗も一応覚醒していた。 「それじゃあ、いただきます」 「まーす」  食事に箸を付け出す二人。俺も漬け物とかで白いご飯を掻っ込む。  そんなことをしていると、律華がふーん、では流せないようなことを言い始めた。 「そういえば、聞いてる? 相馬に許嫁が出来たのよ」  ふーん、と俺と麗は呟きつつ、食事を進め……られなかった。 「は!?」  白米を吹き出しながら、麗が素っ頓狂な声をあげた。 「お前、汚い。にしても許嫁とは。また笑えない冗談だな。しかも今日のご飯は美味しいわねーみたいな調子で言うことか?」 「冗談じゃないわよ。あ、ちなみに今日のご飯も美味しいわね」 「ありがとよ。……ってそうじゃなくて!」  とても、許嫁のことに関しては冗談を言っている顔じゃなかった。ちなみに料理もいつもと変わりないと思うんだが。 「り、律華……」  知らないわ〜。なんて言いながら律華は飯を食い続ける。 「全く、どこの誰が言い出したのやら……。意外とお前だったりしないか?」 「しないわ。ま、近い内に会えるんじゃないの? その人とは」 「……期待しないで待ってる」 「相馬、意外と普通そうにしてるわね……」  感心したような、呆れたような顔で麗は俺を見ている。んな目で見られてもなぁ……。 「んーまー。実感湧いてないだけだな。本人来たら、どうなるか分からないけど」 「呑気なもんね……」 「ちなみに、その子は今日中に来るそうよ」 「おいちょっと待て……。お前、近日中って言ったよな!?」  知らないわ〜。なんて言いながら、再度律華は飯を……。 「律華?」  まさか。さすがにそれだけ急な話ならしらばっくれさせるわけにはいかない。 「……近日中は嘘、今日中がほんと。近日中って言ったら全然慌てないんだもん、失敗したわ。 ま、可愛い相馬の驚いた顔が見えたから、良しとしましょう」 「家の片付けとかは?」 「私がやるわ」 「間違っても、自分で飯を作ろうなんて思うなよ」 「私だってお給料は欲しいもの」  もちろん、律華に給料を支払っているのは俺の家。額とかの判断は一番身近にいる俺に任されている。  律華も生活が掛かっている辺り、料理なんて無茶なことはしないだろう。 「それじゃ、頼むな。麗、そろそろ出るぞ」 「はいはい……」  食べ終わったのを見て、俺たちはそろそろ学校に向かうことにする。  始業式なんてめんどくさい、が、気が付いたら優等生と呼ばれるようになってしまった以上、サボるわけにもいかない。  学校での立場の維持ってのもめんどくさいもんだ。  今年の春はちょっと、というかかなり暖かい、というよりかは暑い。  蒸れる学ランを着て、俺は対照的に涼しげな麗を羨望を隠すことなく見る。 「何?」 「涼しそうだなぁ、って」  白い制服、それにミニスカート。対照的に俺は真っ黒の学ランに長ズボン。  羨ましい。果てしなく羨ましいぞ。 「にしても、暑いわね」 「だな。今日は最高気温何度だっけ?」 「二十九度」 「……梅雨とかぶっ飛ばして初夏だな、初夏。さすがに今から冷房を入れるわけにもいかないし……」 「私は生きる扇風機の相馬が居るから良いんだけどね」 「お前、俺をなんだと思ってるんだ? 俺はそこまで安くないぞ」  なんて言いながらも、俺は意識を澄ます。  ここら一帯を駆け抜けている熱気を運んでいる風だけを引き寄せ、舞わせる。もちろん、熱気は除いて。  俺たちの居る通りを吹き抜ける涼しげな風。髪を押さえながら、満足そうに麗は笑う。  その風はしっかり、俺たちの暑さを取り払っていった。 「おー」  すぐに俺が呼んだ風は消える。まぁ十分だろう。 「相馬……これだけ?」 「これだけ」  ムッとする麗。お前はただでさえ涼しい格好してるんだし良いじゃないか。 「ふん、まぁ良いわ。……ん?」  お〜い、と声が聞こえてくる。俺と麗が同時に振り返ると、 「久しぶり」 「お久しぶりです、先輩」  向こうの方からやった来た男二人組。  片方はメガネ、俺も背が高い方だが、こいつは俺よりも背が高い。190後半ぐらいはあるんじゃないだろうか。ちなみに同学年。  名前は佐久間洋介(さくまようすけ)  もう片方は隣にいる奴のせいで余計に小さく見える、俺の後輩。ガキのくせに銀髪、お母さんの血だそうだ。  こいつは乾皐月(いぬいさつき) 「洋介、生きてたの」 「まぁ、そこそこに。相馬も麗も元気そうで何より」  洋介はガキの頃からの腐れ縁。昔は麗の家に住んでいたんだが、麗と入れ替わるように引っ越していった。  昔、とは言っても俺がまだ言葉もロクに喋れない頃だったんだが。  その後小学校で感動の再会を果たし、高校までの腐れ縁に続いているのである。 「皐月、元気してたか?」 「はい、もちろんですよ〜」  そう言って腰の辺りに体当たり。小学生が身長と精神年齢そのままに成長したような奴だ。  俺のあきれ顔にはもちろん目もくれない。 「今日はうるさいの居ないのな」  これだけでも十分うるさい気もするが、俺の朝はまだまだ、こんな物じゃ物足りない。 「ん、あぁ。宿題やってる頃じゃないのか?」 「休み明け恒例の、か?」 「あぁ、違いない。そういや、携帯点けてなかったな……」  俺はあまり携帯が好きじゃない。電話は好きなんだが。  メールとか余計な機能には金すら払っていないのだが、世の中には電話番号宛にメールを送るなんて機能があったらしい。  お陰で俺は、携帯の電源を常に切っているなんて状態になってしまったわけだ。  そして案の定。 「うわ、すげぇラブコールだな」  待ち受けが表示されると同時に大量に送られてくるメール、そして着信のお知らせ。  相手は全て同じ……ではなかった。いや、それでも一件を除いて八十件ぐらいは同じ相手からだったが。 「鈴からのメールには慣れてるから良いけどな」  後でソートで揃えて消しておこう。  気になるのは、滅多にメールを送ってこない親父からの物。開いてみると……。 「あぁ、これなら朝聞いた」  文面――聞いて驚け、お前に許嫁が出来たぞ! 詳細はどっきり、ということで教えな〜い(ハートの絵文字) 「はぁ……」  思わず漏れるため息。ちなみに、このメールが送られたのは二週間ほど前だったらしい。  律華め、知ってて黙ってやがったな。 「先輩、何か面白いことになってるんですね」 「全くだ。初耳だぞ、こんなん」  お前ら、人の携帯を覗き見るな。  食い付いてくる男二人。とはいっても、麗ほど慌ててはいないようだ。 「い、意外と冷静ね……」 「相馬の周りに女が寄ってくるの、俺はよく知ってるし」 「ま、僕の中の先輩は女性と奪い合うものじゃないですから」 「皐月、目が怖いぞ」 「まったまた〜。冗談ですよね? 先輩」 「いや、マジなんだが……。まぁいい、え、ていうかこれのこと、お前ら本当に何も聞いてないのか?」  うん、と頷く三人。  ということは、実家がグルになってるドッキリか。 「はぁ。ま、夜になれば分かるか……」  そう呟き、青い青い空を仰ぐ。  ……綺麗だった。なーんにも考えなくても良さそうな青い空。  らしくないため息を空に吐き、俺はのんびり歩き出す。  んあ?  俺が誰かって?  ここまでの情報を整理すると、俺は相馬って名前で後輩が居る。……あぁ、はいはい、自己紹介するさ。  俺の名前は法条相馬。御影の街でインフレ気味の狩霊者の一人。それで自分で言うのもなんだが、ツラも悪くない。  人は俺のことを、風刃だとか死神だとか言いやがる。同じ人間にビビられるだけ、俺は力を持っている。異常とも言える力を、な。  こんなところか。……それじゃ、話の続きに戻るとしよう。場所は変わって学校、ちなみに俺の家から徒歩十分ってところだな。  御影市立、御影高校。ひねりは無いが、案外偏差値が高く進学実績もそれなりの高校だ。  俺たちは、下駄箱の前のクラス分けの張り紙を皆で見つめる。  一年二クラス二年二クラス三年……は関係ないが、二クラス。絶賛少子化の煽りを受けた学校だ。 「やっぱりお前らとは一緒か」  洋介も麗も肩をすくめる。これで中学から五年連続。もはやお約束になりつつある。 「もう慣れた」  それは向こうも同じらしい。そして、一人だけ仲間はずれを食ったのが居るわけだ。 「なんで僕は先輩と同じクラスじゃないんですか?」  なんか下の方から聞こえてくる声。当たり前の事を聞くな、と言いたい。 「お前が飛び級するか俺が留年しろってか?」 「皐月、後半は相馬にとっては難しすぎるぞ。そして前半にも世間の壁ってのがあるわけだ」 「いえ、愛の力があれば……」 「皐月……」  去年までは学校が違ったからそこまで脅威を感じなかったんだが……。 「なんでお前県外に出なかったんだよ……」  俺の心からの呟き。こういうところが無ければ、こいつは可愛い後輩なんだが……。 「それを僕に聞きます?」  聞くだけ無駄だったか。ま、可愛い後輩なのには変わりないけどな。  こう、背中をあまり見せたくない発言を除けばの話だ。 「相馬、それじゃ行きましょ。皐月、またね」 「はい、麗さん。それじゃね、洋介」 「おぅ。じゃな」  俺たちは二階、皐月は入学式があるからそのまま体育館に向かう。  背後を見せたくない後輩と別れ、俺は馴染みの二人と教室へ向かう。 「皐月は最初から全開だったな」 「これから二年、ぶっちゃけ怖いわ」 「せいぜい背中に気を付けなさい」 「あぁ、肝に銘じておく」  そんなことを話しながら、俺たち三人は2−Bの教室に入る。  まぁ、狭い学校だけに見慣れた顔ばかり。とりあえず一通り挨拶を交わし、俺たちは自分の席に着く。  ちなみに席順は自由だそう。きっと滅茶苦茶緩いのが担任だろう。  自由なことにかこつけて、とりあえず俺達は三人集まって座る。 「それでさ、実際どうなんだよ。許嫁」  座って早々、洋介は許嫁にまだ食い付いている。 「別にどうもしない。似たような話は今までもあっただろ?」 「でもさ、お前の家の方で話が進められてるんだろ? 同じ学校の生徒に告白されるとか、そういう気楽な話じゃないと思うぞ?」 「結婚を前提にお付き合い……こっちが聞いたり見たりしてて恥ずかしくなりそうなことは、確かにあったわね 今回はお付き合いは無いけれど、結婚は前提……ていうより、既定路線なんじゃない?」  二人の冗談交じりの忠告。二人の言うとおり、俺は今まで結構な回数、手紙や面と向かってで告白されている。  許嫁なんてそれの延長線上の物……え? 違う?  いやいや、違わないだろう。あぁ、絶対違わないさ。いや、違うって思わせて……。 「お前ら、今時そういうのは流行らないだろ。……ま、親父達がどこまで本気かってのは計りかねてるけど」 「自由恋愛がどうのとか、そういうのじゃなくて。法条のお家はそういうの、やりかねないでしょってこと」 「それなら後悔させてやるまでさ」  ぼそっと俺は呟く。  俺は強制されるのは好きじゃない。その事をよく知っている二人は、うんうんと頷いた。 「お前怒らせるとロクなこと無いのは、お前の親父達も知ってるだろ」 「ま、あの親父、だけどな。メールの文面見る限り、親父が率先してやってる感じがするし」  事の子細は、今晩にははっきりするだろう。ま、それを待てば良い。  なんて思っているとチャイムが鳴った。  チャイムが鳴り終わって、少ししてから慌ただしく一人の女性が入ってきた。  そんな慌ただしい、俺たちのクラスの担任は……。 「はぁ……何回も新入生が良いって言ったのに……。なんで勉強させなきゃいけない学年なのよー」 「どんまーい!」  クラスのあちこちから上がる声。クラスメイト達も顔見知りだが、この担任とも俺たちは顔見知りだ。  岩美沙織(いわみさおり)。愛称さおりん。もはや愛称が名前になりつつある。  俺たちと同じ年にここに来た新人で、去年も俺たちの担任だった。大卒で、担当教科は国語。  ふと俺たちはさおりんと目が合う。その瞬間、喜びを露わにする先生。 「ま、法条君も水上さんも居るし……。今年も楽させて貰うわ〜」 「さおりん、もう少し担任の威厳って奴を持とうぜ」  去年は学祭とかそういうのでも、かなり俺たちに依存してたのを覚えてる。  今年は修学旅行とかもあるし、どうなることやら……。 「出席は良いよね? みんな居るし……って、あ、居ない」  え? とクラス中があちこちを見やる。狭い学校だけに、みんなが顔見知りだ。居ない奴なんてすぐ分かる……はずなんだが。 「あ、それは良いの良いの。よく見たら、今日はお休みの連絡貰ってたわ。むー、最近の子は始業式でもサボるのか…… ていうかいきなり転校なんてやめてよね……」  なんか最後の方はよく分からないことを呟いていた。意外と変なところにこだわるのはいつものことなんだが。 「さおりん、転校生ー?」  教室の隅の方から声が上がった。 「うん、そう。明日から来るらしいけど。始業式サボるなんて、私の学校じゃ考えられなかったわ」  さおりん、さりげなくお嬢様校出身だ。この人の学生時代は箱入りお嬢様だったようなんだが……。 「ま、どうでもいっか。ん、級長さーん。それじゃ行きましょー」  級長さーん、とは俺と麗。去年で味を占めたらしい。  呆れながらも、俺達は立ち上がる。ま、どうせこうなるって分かってたさ。 「それじゃ、行きましょう」  麗と俺に率いられて、2−Bの面々はめんどくさそうに体育館へ向かった。  出発は遅いのかなと思ったが、意外や意外、俺たちは二番目に到着した。  してやったりの表情はさおりん。 「ふっふっふ、ちゃんと時間は計ってたのよん」 「はいはい、よくできましたー」 「もっと褒めて〜」  他の先生に見えないように、軽く頭を叩く。 「痛い……」 「痛くないでしょ……。もっと威厳持とうぜ、二年目なんだから」  俺も先生への態度じゃないな、とは思うが……。 「相馬、あんまり弱い物イジメしないの。先生自殺しちゃったらどうするの?」 「……二人とも、私のこと先生だなんて露にも思ってないよね……」 「うん」  俺と麗は同時に頷く。さおりん、深い深いため息。 「……ま、ウザがられるよりはマシだよね。それじゃ、二人とも。後、よろしくね」  さおりんの呟きは実にリアリティ溢れる物だった。  ちょっと俺らが感心している間に、さおりんは先生達が座っている方へ駆けていく。 「ウザがられるより、だって」 「切実だな」  先生という物の哀愁をかみ締めながら、俺と麗はちゃんと列が整っているかとかを見つつ、会が始まるのを待つ。  段々と体育館の中にも人が集まってきた。どれ、そろそろだろう。  教頭が壇上のマイクに向かって、ぼそぼそと喋り始めた。 「えぇ、それでは、第三十二回御影高校、入学式を始めます。……新入生の入場です」  教頭の言葉に続いて、体育館の扉が開く。そして、新入生二クラス分が入ってきた。銀髪だ、すぐに見知った顔が見つかる。  皐月は俺に軽く会釈。そして、後ろから大きな声が聞こえてきた。 「せーんぱーい!!」  恐ろしく聞き覚えのある声。相変わらず、元気だけが取り柄の奴だ。  そして反射的に俺は嫌な顔を作っていたんだろう、麗は俺をニヤニヤ笑って見つめている。 「……なんだよ?」 「やっぱりラブコールが激しいわね、相馬」 「俺の愛は販売開始すらされてないっての……」 「せんぱーい!! どうして電話してくれなかったんですかー!?」  察しろよ。と思わず呟く。三歩歩いて都合の悪いことは全てぶっ飛ばすスキルは相変わらずのようだ。  もちろん、あいつは浮いている。高三、高二の生徒達はなんだなんだ、と声の方を見つめている。 「答えた方が良いんじゃない? あの子、多分黙らないわよ?」 「だよなぁ……」  だけど、俺としても面子ってものがある。人間の尊厳って奴も。 「……後で遊んでやるとするか。でも黙ってくれないよなぁ」  後は後。問題が起こっているのは今というわけで……。 「ごめん、ちょっと行ってくる」 「大変ね、先輩も」  麗の努めて他人事のような台詞に軽く舌打ちしながら、俺はクラスの列を逆走していく。  程なくして大声の主と目があった。  肩まで垂れているツインテール。それが余計に幼さを醸し出しているが、髪型なんて物をすっ飛ばしても十分に幼い。  目はぱっちり、胸は小さい、ひらひらが服を決める時の最大要素。  そんな後輩の名前は金宮鈴音(かなみやすずね)。愛称は鈴。 「先輩。どうです? 制服、似合ってます?」  列をそこで止めていることなど気にもせず、その場でくるくる回る鈴。 「似合ってる。似合ってるからちゃんと列を進めような?」 「……あ、すいません」  やっと自分の置かれた状況に気が付いたのか、辺りに慌てて鈴は頭を下げる。 「気付いたなら良いさ。ほれ、さっさと行く」 「は〜い……」  慌ててその場を駆け出す鈴。動きが小動物そのものだ。  それを俺はため息で見送る。いや、全く変わってない。 「突然大人っぽくなったらなったで怖いけどな……」  なんて呟きつつ、視線を集めていることに気が付いた俺は、慌てて麗の所に逃げ帰ることにした。  戻った俺を、麗は行きと同じような目で迎えてくれた。 「その暖かい瞳、心が折れそうだよ」 「あら、暖かいのに折れちゃうの?」 「ドライアイス的な熱さがあるよな、それ」 「あらあら、いつから私は目からドライアイスを出せるようになったのかしら。暴漢対策は万全ね」 「……お互いに黙ってようぜ、うん」 「つまらないの。ま、良いわ」  そう言って俺たちは黙って前を向く。どうせつまらないお話が続くだけだ。何か他のことでも考えていよう。  放課後は何をやろうか、なんて考えている間に気が付いたら入学式も予定の時間が半分以上終わっていた。  ふと、思い付いたことを隣の麗に言ってみることにする。 「麗」 「ん?」 「放課後、みんなでどっか食いに行くか?」  少し麗は黙り込んだ。 「入学祝い、かしら?」 「ま、そんなとこ」 「良いんじゃない? 洋介はそういうの、大好きだし。鈴も皐月も来ると思うわ」 「ファミレスで良いよな?」 「えぇ」  こんな隣の奴とぼそぼそ話す、そんな光景が体育館の色々な所で見られるようになってきた。  いよいよ宴もたけなわ、とは言わないが、入学式も終わりに近付いてくる。 「予算は?」 「三千円……ぐらいかしら」 「十分飲み食い出来るな。それじゃ、放課後な」 「えぇ。……やっぱ、相馬は許嫁とかは気にならないのね……。私だったら、真っ先に家に帰るけど……」  麗の呆れた声を華麗にスルーし、俺は終わりの合図を待つ。  なに、俺だって少しは気にしてるっての……。現実からちょーっと逃避しているだけ、さ。  入学式も終わり、教室に戻る。さおりんはプリントを取りに行くとかで、麗と一緒に職員室に行った。  俺は教室に戻るやいなや、鈴と皐月にメールを送っておく。  それを目ざとく発見した洋介がこっちへ寄ってきた。 「どした?」 「あいつらの入学祝いにファミレス。来るだろ?」 「もちろん。……あ、おごりは無しか」 「何に期待してるんだよ」 「どうせ、お前が後輩二人に奢ってやるのぐらい分かるって。金あったかな……」 「なきゃドリンクバーだけで粘れよ。いつも通り」 「いつも通りとか言うな! ……そ、そりゃ、まぁ、そういうのが多いけどさ」  悲しいかな、否定できない洋介。大体ドリンクバーだけの時は、俺たちが“好意で”ジュースを汲んできてやる。  もちろん、色がなかなか奇抜な事になるのはお約束だ。 「今日は金、あるだろ?」 「……まぁ、一応は」 「んじゃ、心配しなくて良さそうだな。あ、メール返ってきた」  メールの着信画面を開く。やっぱり皐月と鈴だった。 「今頃、鈴は狂喜乱舞だろうな」 「皐月も似たような状態だと俺は思うぞ」  軽く二人の様子を想像してみる。  ……メールの画面を見た皐月。 『うっわ!? 先輩!? マジですか? あー、嬉しいなぁ、この思い出だけで僕、十年は生きていける! ていうかご飯三杯いける!』  そしてあの端正な顔を喜び一杯にして教室を駆け回っているのだろう。恐らくリアルタイムで。  俺と洋介は同時に顔を見合わせた。 「背筋が寒いな」 「ほんと、お前って色んな奴に好かれるよな……。心から同情するし羨ましいわ」 「鈴からのも羨ましいのか、お前……?」 「まさか。俺の守備範囲は同学年からプラス5ぐらいだよ」  ちなみにだが、洋介は筋金入りの年上好きだ。  以前、鈴の事を「お前は俺の後に生まれた時点で賞味期限切れだ」などと言い放って、マジギレさせていた覚えがある。 「鈴は……」  バーン! と教室の前の扉が開け放たれる。  ナイスタイミングすぎる登場。まさかとは思うが、教室の前で聞き耳でも立てていたのだろうか。 「せんぱーい!」 「……なんで来たんだろうな」  洋介は知らん、と肩をすくめるだけ。 「お前、クラスに居なくて良いのか?」  普通なら担任が新入生をちゃんと見ているはずなんだが。 「先輩からのメールと比べれば、そんなことは大事の前の小事です!」  普通逆だろう、逆。新学期一日目からぶっ飛びまくってるのはさすがとしか言いようがない。  そういや、メールで思い出した。 「そういやお前、宿題出来たのか?」 「……ま、まぁ、それなりに……」  わざとらしく目を逸らす……それを見て俺が思わずため息。 「終わってないのか……」 「だ、だって先輩が電話にも出てくれないしメールも返してくれないし……」  鈴は言い終えて、泣きそうな顔で俺を見る。  必殺の泣き落とし。目を潤ませながら俺を見つめ続ける。いや、俺は悪いことはしていない……?  悪いことはしていないはずなんだが、悪いことをしているように思わせる。女の奥義泣き落とし。  ま、麗と律華はプライドがあるから泣き落としなんてしてこないのは救いだな、うん。  そして教室の雰囲気も、俺が悪いことしているのではと思わせるような物に変わっていく。  この状況で奥義を使わせてしまった俺の負けだな。うん。仕方が無い、ここで折れよう。 「……それじゃ、後で見てやるから。な? 今は教室にすぐに戻ってくれ」 「やっぱり先輩大好きです〜」  心底嬉しそうに飛びついてくる鈴。  ここまで先輩後輩を超えたスキンシップをされるとかなり困るんだが。 「あぁ、はいはい、分かったから。すぐに戻ってな」 「はーい!」  そしてうるうる目なんて忘れて笑顔満面で鈴は帰って行った。  俺、あいつには甘すぎるな。と、毎度毎度後悔するんだが……。  残念なことに次も甘くしてしまうんだよな。 「お前、やっぱり鈴には甘いよな」  鈴を見送った俺に、洋介がニヤニヤしながら話しかけてくる。  全く、俺だってそれぐらいの自覚はあるっての。 「やっぱりか?」 「甘やかして育てるのはよろしくないと思うぞー?」 「お前もな、あの目で見つめられてみろ。全部俺が悪いことしているような気になってくるんだよ」 「まぁ、よく分からんが……。頼れる先輩も苦労するな」 「お前も後輩に一方的に慕われてみればよく分かるさ」 「ガキからの愛に答える気は無いんよ。それに一方的、じゃないだろ? お前だって嫌じゃないんだし」 「……俺は慣れたの」 「そういうことにしておいてやるよ」  絶対その気は無いクセに。ま、これ以上突っついても良いことは無いだろうか、このままにしておこう。  そんなことを言っている間に、さおりんと麗が戻ってきた。  もちろん、さっき教室で起きた珍事を知る由はない。 「ん? みんななんか、一歩引いてない? ま、いいや」  さおりん、一瞬クラスの異常に気付いたもののすぐに気のせいということにして、プリントを配り始める。  疲れた表情で麗がこちらに戻ってきた。 「お疲れ」 「相馬……私にやらせたわね……?」 「声を掛けられる前に逃げただけさ」  実際声掛けられなかったし。そうならないように逃げた、とも言うのだが。 「はぁ……。まぁ良いけどね。で、どこで食べるの?」 「駅前で適当に」  駅前にはファミレスもよりどりみどりだからな。  ファストフードもあるし。向こうに行ってから決めるのも遅くはない。 「はーい、そこ話してないの。ま、今後の予定は配ったプリントの通りでよろしくね。それじゃ、今日はこの辺で」  実に締まりのないさおりんの本日終了の言葉を受けて、麗が号令を掛ける。  とりあえず洋介、麗と昇降口まで。  昇降口では鈴と皐月が待っていた……。が、大人しく、というわけではなさそうだ。 「金宮がなんで居るのさ?」 「先輩直々に誘われたんです。勘違い野郎こそなんで居るんです?」  鈴と皐月はお世辞にも仲が良いとは言えない。  因縁は中学から続いており、そして高校に入っても続いているようだ。 「お前ら……何やってんの?」 「いえ、何も」 「全く、何もやってないですよ? 先輩」  同じようなことを言う二人。息ピッタリだ。 「相変わらず、あなた達も仲良いわね。さ、行きましょ」  麗が二人を取りなし、なぜか俺が二人の間に入らせられる。 「なんで俺ここ?」 「そこが定位置でしょ?」 「いや、両手に花って良いもんだねぇ」  とっても他人事な二人。  二人の態度にほとほとため息を吐きながら、俺は困った後輩達と歩き出した。  駅前に行くにはちょっとした大きな橋を渡らないといけない。人呼んで御影大橋。  大橋、とはいっても某虹色橋や鉄道の鉄橋のような感じではなく、こじんまりとした歩道と車道があるだけの橋だ。  眼下の河には少年達が草野球に興じる河川敷があり、この橋や河が市民の憩いの場を提供しているわけだ。  その橋を渡って、更に十分ほど歩くと御影駅へ。  駅前はタクシー乗り場やらバス停やら、電車の利用客やらでとてもにぎわっている。  どこかの学校も今日が始業式だったのか、うち以外の制服姿もちらほら見える。 「どこに入る?」 「まぁ、あそこで良くないか?」  手近にあった大手ファミレスチェーン店を指差す。まぁ異論も無いようで、俺たちはファミレスに入っていく。  六人掛けの席に案内され、俺を挟むように鈴と皐月が座った。いや、まぁ、分かってたけどな。 「入学祝い、ってことで」 「わーい!」  子供のように喜ぶ鈴。ぶっちゃけもの凄く恥ずかしい。 「お金とかは……」 「あぁ、あんまり気にしなくて良いぞ。いざとなったら麗が助けてくれるし、な?」 「そんなにお金無かったの?」 「この二人が自重せずに食いまくった時の話だよ。そうならないことを祈ってるわ」  さりげなく念を押したつもりなんだが。皐月はともかくとして……。 「店員さーん。えっと、ここからここまでデザート下さい。あ、ドリンクバーは五つで」  金宮の家はドが付くほどの金持ちで、ぶっちゃけ金使いには糸目がない。今までも散々、金銭感覚の違いを見せつけて来てくれた。  一応、俺の家も許嫁を用意したりする金持ちだが、金宮の家はこっちのワンランク上だ。ワンランク……? いや、更に上か……? 「そ、相馬……?」  さすがに俺のことが心配になったのか、麗は俺のことを見る。 「なんとかなるだろ……。多分」  諭吉さんは二人ぐらい居るから、多分、きっと……なんとかなる、はず。 「先輩、食べさせてあげますからね」  本当に嬉しそうに鈴は笑っている。まぁ、喜んでくれるなら何よりだよ、うん。 「あぁ、ありがとう……」  あ、俺も何か食べるとしよう。  デザートを片っ端から伝票に書いている店員さんに申し訳なくなりながらも、皆も追加注文していく。  ようやく全て記録し終えた店員さんに心の中でお礼を言いながら、俺たちは他愛のないことを話す。 「皐月はあんなもんで良いのか?」 「はい。もともと、そんなにいっぱい食べませんから。あんなもんですよ」  頼んだ物はピザ一枚。大体友人が集まってこういう所に来た時にピザを頼むのは、まぁ自殺行為だ。  みんな飢えてるからな。そして容赦がない。 「さて、じゃ、ジュースを汲んできてやるよ、洋介」 「え、いや、俺自分で……」 「まぁまぁ、良いじゃないですか佐久間先輩!」 「そうそう。相馬が自分からやってくれるなんて珍しいんだから。安心して、相馬に任せなさい?」 「いや、絶対あいつ殺る気満々だろ!? 混ぜちゃいけないものを片っ端からやってくるって、絶対!」 「ま、任せろ!」  清い笑顔を見せつけて、俺は洋介のコップを引ったくり、ドリンクバーへ。 「先輩、僕も行きますよ」 「皐月は……自分の分か」 「はい。僕はそこまでボランティア精神溢れてないんですよ」 「言うよな、お前」  まず、俺は洋介のコップをドリンクバーに置く。皐月と目を似合わせ、ニヤリ。  とりあえず、俺はスタンダードなメロンソーダベース。そこにすかさず皐月がアイスティーをぶち込む。  それを見た俺、悪のり開始。場所を変えてコーヒー用のクリームをぶち込む。  そして皐月がコーラを。なんとも言い難い色になってきた。というか白いの浮いてるぞ、白いの。 「……味見……するか?」 「いえ、遠慮しておきます……」  そりゃそうだろう。やり出した俺でさえもパスしたい代物だ。  飲まされるあいつが不憫でならない。 「さて、俺はアイスティーっと……」  皐月もアイスコーヒーを入れ終わったらしく、不可思議な色の液体が入ったコップと普通の飲み物を持った俺たちは皆の所へ戻る。  店の奥にある六人掛けの席に戻る途中…… 「……?」  背中に感じる刺すような視線。日常生活では感じるはずのない、尖った感情に思わず身構える。  だが、すぐにその視線の気配は消えた。 「先輩? どうしました?」 「いや、気のせい、だと思う。気にしないでくれ」  さっきのが気のせいだと、心の底からは言い切れない。久々にヒヤリとさせられただけに。 「早く戻ろう」 「……? は、はい」  テーブルには超甘ったるい空間が展開されていた。  鈴の目の前に置かれるのはプリン、パフェ、ケーキ、季節のゼリー、まぁデザート全部頼んだのだから当然か。 「お前……それ全部食えるのか……?」 「甘い物は別腹なんです。それに先輩にもい〜っぱい分けてあげますから」  なんて言いながら、俺は鈴の方に引っ張られた。  結構強い力に驚きながらも、鈴の隣に改めて座る。 「私たちも食べましょう」 「……おいお前ら、この甘すぎる液体はなんだ……?」  あれに口を付けるだけでこっちとしては尊敬せざる終えない。あの色で白い粉状の物だ。  一目見ただけで危険物と分かる……はずなんだが。 「お前、偉いな。出て来た物は残さず食べる。素晴らしい心がけだ」 「お前らがそれだけ鬼畜だとは知らなかったんだよ……。麗、飲め」 「嫌よ、飲んだら確実に虫歯になるか太りそうなジュースなんて。ていうかジュースっていうカテゴリですら無いわね」  もちろんアレを飲みたがるような酔狂な奴が居るはずもなく。四面楚歌と言うことを実感した洋介は、地獄への片道切符を手に取った。 「あー、分かったよ。一気してやるよ!」  それはやめておいた方が良いと思う、と視線を投げかけるが、もはや奴に言葉は届かない。 「俺は、男に、なる!」  うわぁ、と俺達は数歩引く。俺たちの態度ととんでもジュースに臆することなく、洋介は口を付けた。  ゴクッゴクッゴクッゴクッ……。  制作者の俺までも思わず目を背ける。そして、案の定……。 「グゥエェェェェェ……。と、トイレ!」  洋介は立ち上がり、猛ダッシュでトイレへと駆けていった。もう、脱兎のごとく。  テーブルの上にはぽつん、と飲みきられた謎ジュースのコップが残されている。偉大なる英雄に、心の中で合掌。 「バカね、あいつ」 「今に始まった事じゃないさ。さ、俺たちは美味い物食べようぜ」  そして、各々の食べ物に手を伸ばし始める。 「先輩、それではどうぞ」  スプーンで生クリームをすくって、俺に差し出してくる。  ジーッとそれを見つめている鈴と麗。皐月はそんな俺たちを楽しそうに見ていた。 「なんだよ、皐月?」 「僕はそういう先輩が好きなんですよ。あ、ピザ取り分けておきますね」 「お、おう。さんきゅ」  良く出来た後輩だよ、全く。それに引き換え……。 「せ〜んぱい、ほら、食べて下さい〜」 「はいはい。分かった、分かったから」 「分かったならパクッ、パクッと。あ、ついでに私も……」 「何言ってるんだよ、お前は。あぁ、分かった、分かったよ……」  再びの潤んだ瞳。食べてやらないとずっとこの素晴らしい責め苦に遭い続けることになるだろう。  気恥ずかしいのを我慢して、俺は差し出された生クリームを食べた。 「甘い物は素晴らしいですよね〜」  にこにこにこにこにこ、笑顔のバーゲンセールかと思うほど、鈴は笑顔を振りまいている。まぁ、これだけ喜んでくれるなら嬉しい限りではあるが。  それを冷ややかに見つめる瞳が二つ。 「相馬、今のもう一回やって。証拠写真撮って母さんやおじさん達にばらまくから」  と言って携帯を構えるのはもちろん麗な。 「それは勘弁」  鈴が寂しそうな顔をしたのが一瞬見えたが、いや、ここは心を鬼にするぞ。鬼に! 「俺の社会的地位と名誉のために我慢してくれ、な? 鈴」 「うぅ……。それじゃ、今度は二人っきりで来ましょうね?」 「いや、まぁ……。予定は未定ってことで頼むわ」  まぁ、心のどこかで覚えていたら付き合ってやるとしよう。  そうこうしている内に、顔面蒼白の洋介が戻ってきた。一戦終えた華やかさは全くない。 「衝撃的なシーンを見逃したわね」 「え? そんな大イベントあったのか?」  事態を全く飲み込めていない洋介。ま、お前はそのまま何も知らないままで居てくれ。 「絵になってましたよ、先輩」  にこにこ笑顔の皐月が怖い。まぁこいつが怖いのはいつものことだ。何考えているかさっぱり分からない。 「さ、落ち着いたところで皆さん。食べましょう」  その後は洋介もドクターペッパーを飲まされることもなく、鈴と俺の微笑ましい光景が展開されることもなく、つつがなく他愛のないことを話しながら、二時間ほどファミレスに居ただろうか。  そろそろネタも尽きかけた時、俺の携帯が珍しく鳴った。  着信は……律華から。 「珍しいな……」 「確かに珍しいわね。律華さんから電話してくるなんて」  律華も俺の電話嫌いはよく知っている。嫌がらせなんかで俺を困らせることはしないだけに、結構な用事があるんだろう。 「もしもし?」 「相馬。今どこ?」  電話の声は案外、切迫した物は感じない。大した用事もないんだろうか。 「駅前のファミレスだけど?」 「お客様が見えてるわ。早く帰ってきて」 「客?」 「とーっても大事なお客様よ。結構待たせてしまっているから、そろそろ帰ってきてくれないかしら?」  律華がそこまで言うなら早く帰った方が良いのかもしれない。滅多に電話をしてこない奴の電話というのはロクな事が無い。 「分かった。すぐに出る」  返事は聞かずに電話を切った。 「お開きかしら?」 「あぁ、悪い。ちょっと大事な客が来たみたいなんだ」  洋介と皐月はなんとなく心得たようだ。洋介と麗は自分が食べた分の額を伝票で調べている。 「私はもうお腹いっぱいですから」  鈴はふわふわ〜っと幸せそうな笑顔を浮かべながら言う。……こいつ、結局どれくらい食ったんだろう? 「先輩、ご馳走様でした」 「いやいや、腹一杯になったなら良いさ。鈴も、満足したか?」 「もっちろんです〜」  口元に付いた生クリームが余計に子供っぽい。……こいつが太ったらやっぱり俺のせいになるんだろうか。 「お前、太っても俺のせいにするなよ?」 「? これで太ってたら、私今頃ダルマさんですよ〜」 「……あぁ、そうかい」  甘い物は別腹、本当にそれ用の胃袋でもあるのかね。このお嬢さん。 「バカなこと話してないで、早く帰らないといけないんでしょ?」  麗の手厳しい言葉。ほとほとため息を吐きながら、俺たちはファミレスを後にした。  結局、視線をあの後感じることはなかった。 「それじゃ、先輩。今日はご馳走様でした」 「じゃな、相馬」 「先輩、また明日」  洋介、鈴、皐月は駅側に住んでいるので、橋の近くでお別れ。  ここからだと余計に時間が掛かるだろうから、わざわざ送ってもらうのは申し訳ないと常々思うのだが。 「相馬、いきましょ」 「あぁ。……気が重い」  大体、客と言っても大方想像は付いているし。 「やっぱり嫌なんじゃない」 「……面倒なんだよ。ただ、それだけさ」  既に俺の周りには濃すぎる人物が大量に居る。  麗を始めとした学校の友人達。律華や親父といった法条の家絡みの人間達。  皆が居るだけで俺は十分楽しいし、幸せだし、必要ない。このままで居られれば良いんだ。 「ま、意外と面白いんじゃない? 許嫁なんて滅多にあるもんじゃないでしょ?」 「そりゃ、お前は面白いかも知れないけどな。どう接したらいいかとか、全然分からないんだよ」 「それは相馬次第としか言いようがないんじゃないかしら?」 「だよなぁ……」  ま、いざとなったら麗が助けてくれ……る、はず。  恐ろしく気が重かったものの、意外と自宅に着くのに時間はかからなかった。 「それじゃ、頑張りなさい」  ポンと肩を叩いて、麗は自分の家に戻っていった。  それを最後まで見送って、ふぅとため息。 「ストーカーか? ったく、こちとら機嫌が悪いんだよ。用があるなら後にしてくれ」  ファミレスで感じた視線を、橋を渡ってからか、視線を再度感じるようになった。  そして、ひたひたとここまで付いてきたわけだ。 「ファミレスの時もあんな物騒な殺気飛ばしやがって」 「探しに来るかな、って思ったんだけど」  女の声が背後から聞こえてくる。なんだ、男だと思っていたのだが。  とてもあんな殺気の持ち主とは思えない、案外可愛らしい声。 「悪いな、オンとオフは切り替える人間なんだ」 「ちなみに今は?」 「オンだな」  そう返し、振り返った瞬間目に入ってきたのは、  夕日を反射し赤く光る、剣を掲げた金髪の少女。 「丸腰の相手に剣を向けるなよ」  後ろに飛び退き、その剣戟を躱す。コンクリートを叩き割るその威力は、女の子の細腕からは考えられない一撃だった。 「じょーだんキツイね」 「剣、抜いてくれないの?」 「悪いが手持ちになくてね。……丸腰って言ったろうが」  口では結構軽いことを言っているつもりだが、正直なところ頭の中では困りまくっている。  ずばり、いかにしてこの状況から脱出するか。  携帯電話を使わせてくれるわけはなく、丸腰である以上Uターンして猛ダッシュしても家には行き着かないだろう。 「もう少し派手に戦うわけにもいかないしな……」  周りには俺の家や麗の家があるが、もちろん一般家庭の家もある。  一般人が剣振り上げている美少女に追われる美少年を見つけたらもう、厄介事へまっしぐらだろう。 「逃げることしか考えないの?」 「俺は常識人なんでな、世間体とかも気にしないといけないんだ。女に剣持って襲われてるなんてご近所にばれたら、いや、どうなることやら」 「それじゃ、気付かれる前にあの世に送って上げるね」 「残念ながら結構だ。ここで刺殺死体とか見つかったら、それこそ厄介事になるんでな」  切っ先の届かない距離に、じりじりと離……させてくれるわけはなく。 「逃げたら嫌だよ?」 「脅迫的な愛は趣味じゃないんだ」 「愛じゃないよ。憎しみだよ」 「憎まれる覚えはないって……の」  俺を無視して振り下ろされる刃。バック転で躱しても続けざまに振るわれる幅広の刃。  その剣閃は鋭く、これまでに相当鍛え上げられ、洗練されたきた事を感じる。  相手を探っている間は全く余裕が無く、女の子の剣に注意を払っていなかったが、よく見ると幅広の西洋刀のようだ。  あれを片手で振るうのか、恐ろしいな。 「どういう怪力だよ、おい!」  これだけの腕の持ち主だ、刀があれば切り結んでみたかったりもするが……。  まぁ無い物ねだりをしてもしょうがない。  勝ち目のない俺は、逃げに徹することにした。  曲芸師のごとく気合いで切っ先を避けまくる。もう徹底的に避けまくる。  飛び、回り、目と鼻の先を切っ先が通過したのもなんどかあったが、じりじりと我が家の門にまで引き下がる。 「逃げるばっかじゃつまらない……」 「悪いな、勝ち目のない戦いは趣味じゃない」  そして俺は門に手を掛ける。それを見た女の子……長い長い金髪の少女は、本当につまらなさそうに俺のことを見つめている。 「安心しろよ。やられっぱなしは趣味じゃない。必ず、やり返させて貰う」 「その時は今みたいに無様に地面を転がり回らないでね?」 「……じゃあな」  俺はそのまま家の中に無様に転がり込んだ。ここまで追ってくることはないはず。  そして、そんな無様な俺を見下ろす瞳が二つ。 「どうしたの、相馬。泥遊び?」 「まっさかー。暴漢に襲われただけさ」 「……大丈夫? 顔とか所々切れてるけど……」 「あ、マジで? ちゃんと躱してたと思ったんだが……」  頬とか触れてみると、確かに、液体が流れ出ているのを感じる。  そして、指先を見てみるとやっぱり、赤い液体が指先に付いていた。  とりあえず、その血を舐め取る。この味、忘れないぞ。 「やられっぱなしは好きじゃないんだよ……」 「……相馬、お客様に会う前に着替えて」 「あいよ……」  やれやれ、許嫁とのご対面か。さっきの女の子が許嫁だ、なんて素敵なオチが付いたら俺、半狂乱になってこの家壊しまくるぞ。  初対面の許嫁に殺されかける……この先の生活に不安しか感じられなくなってしまうっての。  まぁ、そんなことはさすがに無かったわけなんだが……。  とりあえず汚れまくった制服を着替えて、長袖のYシャツにズボンといういつもの普段着に着替える。  着替え終えて部屋から出ると、お仕事モードの律華が俺に一礼。 「やめろ、気持ち悪い」 「あのね、向こうは良家のお嬢さん。さすがに私も法条のお家の一員として、変な事は出来ないの」 「それ、俺と一緒にいる時も実践しような」 「別に相馬は私の性格ぐらい分かっているじゃない。バレてるのに隠すのもめんどくさいし」 「……俺、そういうお前の包み隠さないところ、嫌いじゃない」 「ありがと。それじゃ、行きましょ。おぼっちゃん」  そう言って笑う律華にほとほと呆れながら、俺は律華の後に付いて、客間へ向かう。  客間に入って最初に目が行ったのは、かなりデカいボストンバッグだった。  ボストンバッグに目が向いてしまうほど女の子が小さいのかというと、そういうわけではなく。  ボストンバッグが非常識にデカいのだ。 「デカいな、それ……」  思わず呟いてしまうぐらいデカい。 「……瑠璃、さん」 「あ、すいません。正座で体全体が痺れてました」 「そりゃ凄いな」 「冗談です。それで、あなたが?」  グイ、と律華に前に引っ張り出される。 「……あぁ。俺が法条相馬だ」  そう言って女の子は立ち上がった。 「島宮瑠璃(しまみやるり)です。えぇっと……?」  向こうとしてもなんて言えば良いか分からないようだ。  許嫁との接し方なんて俺が知るわけないわけで……。 「まぁ、挨拶も済ませたみたいだし……。ご飯にしましょ?」 「作るのは俺だろうが……。しましょ? じゃなくてさ」 「え、えっと、料理はあなたが?」 「呼ぶのは相馬、で良いから。俺は瑠璃って呼ぶからな」  そう言って、俺は台所に向かう。はてさて、何を作るとしようかな。  やれやれ、見知らぬ女に斬りかかれるわ、突然許嫁は出てくるわ……。新学期早々、ロクな事がない。 「俺、今年厄年なんかな……」  そういった物はあまり信じていないが、でも人ってこう、原因とかを見つけたくなるもんだ。  それだけで未知の現象が身近に感じられるようになる。感覚っていうのは大事だ。 「とかく、まぁ……美味いものでも作るとしよう」  この先何が起きるか分からないが、瑠璃との付き合い方も含めて、やることはまだまだある。  やることがあるっていうことは大事だ。それだけで、生きているって感じがするし。  予感はあった。  今年は、何か違うんだろうなって予感が。  その予感は見事に的中してしまうんだが、それはまた別の話。