最近、相馬がよく携帯を触るようになった。以前が以前だっただけに私たちは実に驚いたものだった。  しかも、「携帯会社違う奴には電話でしか連絡取れないのも不便だしな」なんて言い出して、Eメールを多用するようになった。  これには私を始め、律華さんや皐月も本当に相馬か? と疑うほどだった。  でも相馬がすり替わっているなんてこともなく、やっぱり相馬に何か心境の変化があったよう。  最初の頃はいくら聞いても教えてくれなかったのだけれど、最近になってようやく、携帯を使い出した理由やその他諸々を教えてくれた。  始まりは、始業式から数日足らずで洋介が盲腸で入院したところから。  ちょうどあの頃は、相馬含めたみんなも瑠璃が来たりしたこともあって、色々な事に対して余裕がなかったんだと思う。  俺は非常に困っていた。理由はもちろん、瑠璃のこと。  来た一日目から対応に困るなんて、実に情けない話だが……。 「はぁ……」  俺のため息が風呂場に響き渡る。とりあえず夕食は用意して三人で食べたが、その間もほとんど会話らしい会話は無し。  自己紹介もほとんど形だけで、まだ話らしい話も出来ていなかった。 「やっぱり俺から話しかけた方が良いんだろうか……」  いきなりこう、結婚を前提とした仲、というのはなかなか難しいが、せめて友人としては付き合いたいとも思うんだ。  向こうだって俺だから来てくれたんだと思うし(こう思ってから、なんて思いこみの激しい奴だと思ってしまった) 「……その内、親父を問い詰めないとな。これで無理矢理、とかだったら今度こそ半殺しにしかねない」  親父を半殺しにしてやろうと思ったことは両手で数え切れないぐらいあるが、いずれもなんだかんだでうやむやになってしまった。  今度こそ、なんて意気込んでいるのはここだけの話。 「考えててもしょうがないし、出るか」  律華に裸を見られるぐらいならお互いに何の問題もないんだが、さすがに瑠璃が居るとなるとそうもいかない。  湯冷めするのも嫌なので、さっさとシャツにトランクス一枚という格好になると、ぷらーっと外に出た。  風呂場から出て、なんとなく縁側に顔を出すと、 「よ、よぉ……」  瑠璃が縁側で団子を食べていた。傍らには湯飲みが二つと団子の皿を乗せたお盆があった。  俺が近付いたことに気が付いたのが、瑠璃は俺の方に振り向いた。目が合う。  その時、俺は反射的に話しかけていた。 「何、してるんだ?」 「お月見です」  そう言われて空を見ると、ちょうど満月を二つに切ると出来そうな、綺麗な半月が浮かんでいた。 「三日月でも満月でもなく、半月?」 「正確には、今宵は上弦の月、ですね。お月見するのは気分です。月の見え方は関係ないんです、新月の時もやりますよ?」 「……それは果たして月見というのか?」 「見えなくても、お月様を思ってお茶と団子を食べてれば、それはお月見になるんですよ。月を思う気持ちが大事なんです」 「そ、そうか……」  瑠璃は優しそうな見た目に違わず、ほわほわ〜っとしていた。  にこにこしながら、幸せそうに団子を食べている。何を思ったか、瑠璃は突然団子を一本差し出してきた。 「磯辺とかお醤油とかありますよ? あ、あんこも。一本いかがです?」 「ん、じゃ、貰うわ」  一体、この団子はどこに出て来たんだろうな、なんて考えながら団子を食べる。うん、美味い。 「お茶も、どうぞ」 「さんきゅ」  熱くもなく冷たくもなく、ぬるめのお茶が美味い。……ん? こんなお茶、うちにあったかな? 「家から持ってきたんです。お口に合いませんでしたか?」 「いんや。なんか味わい深いなぁ、なんて、軽く感動してた」 「そ、そうですか……。よかったです」  瑠璃はそう言って、本当に嬉しそうに笑う。この時初めて、俺は瑠璃のことをしっかり見た。それは向こうも同じだったんだろう。  初対面の時の固さは全くない。……お互いにこれが素なんだなぁ、なんてしみじみと思う。 「明日からは学校に行くのか?」 「はい、一緒のクラスで一年間……もしかしたらそれ以上ですけど、よろしくお願いします」 「ん、あぁ、こちらこそ……」  向こうは素なのかも知れないが、こっちはどうにも上手くいかない。こういう子とは話慣れてないというか、なんというか……。  ……麗にはああ言ったが、俺、めちゃくちゃ意識してるじゃないか。 「……あの」 「ん?」 「その、やっぱりビックリしますよね。あのお手伝いさん……」 「お手伝いさんじゃなくて律華で良い。今度から三人で暮らすんだから、その辺の遠慮は要らない」 「じゃあ、律華さんが言ってました。法条のお家が相馬には何も伝えてないから、戸惑ったりするかもしれないって」  こういう律華のマメなところは好きなんだがな。俺の見えないところでは超善人なのが、少しだけむかつく。  にしても、伊達に十年来の付き合いじゃないか。こっちの思考回路は丸わかり、と。 「思われてるんですね」 「あいつがそういうことに敏感なだけだよ。あぁ、それと、律華の言ってることは大体当たってるから」 「……それはそうですよね。誰だって、何も知らされずに私みたいなのが現れたりしたら驚きますよね……」  また団子が勧められる。もう一本団子を食べながら、俺ものんびりと半月を見やる。 「ま、」 「ん?」 「俺んちにようこそ、って所だな。今言えることは」  そう言って、少し気恥ずかしくて団子を一気に食べた。  それをニコニコ笑いながら瑠璃は見て……なんか、背中に視線を感じる。 「……律華。俺ら見るなら月を見ろ」 「微笑ましかったんだもの。いいじゃない」  なんて言いながら、廊下の曲がり角に隠れていた律華が出て来た。 「一本貰うわ」  俺の側に来て、早々に団子を食べ始める。律華はやっぱり、楽しそうにニコニコ笑っている。 「楽しい?」 「はい、とっても」 「そう。……このお団子美味しいわね」  一瞬、律華は何を考えているか分からない微笑を浮かべた後、団子にかじりついた。  そして、満面の笑みを浮かべながら、あっという間に一本食べきった。  美味い食べ物というのは人を笑顔にすると言うが、全くもってそれは真実だと思う。 「で、俺らはいつまで月見をするんだ?」 「お団子が無くなるまでよ」 「……お前、そういや花見の時も酒ばっか飲んでたよな……」  去年の家ぐるみでの花見の時も、律華は挨拶もそこそこに酒浸り、だった覚えがある。 「花より団子。月より団子、よ」 「はいはい」  風情の欠片も無い奴。ま、俺も月や花よりは団子の方が好きだけどな。  そんなこんなで、俺たちはそれから団子が無くなるまで、月は見ずに話し込んでいた。  次の日、いきなり俺の電話のアラームが家中に響き渡った。律華からの呼び出しの後、電源を入れっぱなしにしていたらしい。  寝ぼけ眼で発信者を見ると、洋介の家電だった。 「あいつ、携帯どうかしたのかね? ……もしもし?」 「あ、相馬君かい? ごめんね、こんな朝早くから」  相手はなんと、洋介のお袋さんだった。洋介だと思ってゆるゆるだった気持ちを締める。 「どうしました?」 「いやね、さっきお腹が痛いって言い出して……。それも尋常じゃない痛がり方でね、今救急車に来て貰ったのよ」 「大丈夫なんですか?」 「うん、命がどう、とかそういうのはないと思う。一応、宗主さんには連絡しておいた方が良いと思って」 「ん、ありがとうございます。学校終わってから、お見舞いに行きますね」 「ごめんなさいね。全く、あのバカ息子……。相馬君に心配掛けさせて……」 「ん、いや、慣れてるので大丈夫ですよ。では、また後で」  そう告げて電話を切る。  ふぅ、大丈夫かな。あいつ。拾い食いでもして当たったのだろうが、まぁ、とりあえず放課後にでも行ってやろう。  あ、みんなにも言っておかないと。なんて思いながら、朝食の準備に向かうことにした。  俺が台所でいつも通り朝食を作っていると、律華が起きてきた。 「おはよう」 「よう。あ、洋介が拾い食いして腹に当たったらしいぞ」 「……どこまでが嘘?」  ……勘の鋭い奴だ。 「拾い食いはしたのかもしれないししてないのかもしれない。でも腹が痛くなったらしいのはマジ」 「あら……。それじゃお見舞いに行かないとね。病院の場所は?」 「……あ。わり、聞き忘れた。でも市民病院……じゃないか?」 「んー……。隣町の大学病院ってセンもあり得なくはないわね。良いわ、病院には二つとも回っておくから」 「良いのか?」 「暇だし、良いのよ。そういうわけでご飯、よろしくね」 「ん、分かった」  律華にとりあえず心の中で感謝しながら、朝飯作りに勤しむことにした。  そんなこんなで厨房に居ると、瑠璃が起き出してきた。 「おはようございます」 「ん、おはよう」 「早起きなんですね、お二人とも。やっぱり家事する人は違うんですね……」 「瑠璃は家事しないのか?」 「あまり習ってきてないですね……。相馬は家事できる人の方がお好きなんですか?」  これは暗に女の好みを聞かれているんだろうか。  そりゃ、家事は出来てくれる方がありがたい。それだけこっちが楽になるし。  ちなみにだが、一応俺だって掃除洗濯ぐらいは出来る。律華が居るからやらないだけで。  料理は俺の趣味みたいな物だから、出来れば料理はしたい。ま、まとめると、掃除洗濯ぐらい出来てくれれば良いって事だな。  そんなことを伝えると、瑠璃は困ったように首を傾げた。 「掃除洗濯……ですか……」 「あ、まぁ、いや、俺がやれば良いわけだからな、うん。男の妄想的な事を言ってみただけで……」 「でもやっぱり気にはなりますから……」  考え込む瑠璃。どうしたもんかな……。 「もうすぐ飯出来るから、律華と待っててくれ。あいつもそろそろ来る頃だし……」  その時、玄関の方でごそごそと物音がした。そして、廊下を半死半生といった様子でとぼとぼと麗が歩いてくる。 「よう、死にそうだな」 「ねむぃ……」 「お前、毎晩毎晩何やってるんだ? ちゃんと寝ないと体壊すぞ?」 「いーじゃない、私が何やっても……。んあ?」  ぬっと、見慣れない瑠璃を麗は見る。 「……誰?」 「俺の許嫁さん、だと」  もう一度麗はぬっと見る。それを困ったように瑠璃は見返していた。 「ふーん……。私は水上麗。麗で良いわ」 「島宮瑠璃です。えっと……?」  助けを求めるように俺を見る。あ、そうか。こいつのことは聞いてなかったのか。 「こいつは俺の幼馴染み。そんで、同業者だよ」 「ま、そんなところ。よろしく」  ぶすっとしながら形だけの握手を無理矢理すると、麗はゾンビのように食卓に着いた。 「……あの」 「あいつの寝起きに機嫌が悪いのは今に始まった事じゃない。気にしないでくれ。どれ、そろそろ飯持っていくか」  いつもより一人多い食卓。まぁ、さしていつもと変わることはなく、皆黙々と食べている。  食事も半ばに差し掛かって小休止、というところで洋介の話題を出してみた。 「あいつ、今朝方病院に運ばれたんだと」 「どうしたの? 食べ物にでも当たった?」 「……相馬も麗ちゃんも手厳しいわね」 「えと、その方も?」  洋介を知らない瑠璃はここでも首を傾げる。 「そ、同業者。俺の男幼馴染みだよ。……まぁ、人となりは会ってみりゃ分かる、と思うな」 「でも、入院っていうのはあまり穏やかじゃないですよね。お見舞いには行くんですか?」 「場所を聞きそびれちゃってさ、律華が俺らが学校行っている間に調べて貰う。場所が分かれば、放課後にでも見舞いに行こうと思う」 「ご一緒しても……?」 「もちろん。断る要素なんて無いだろ?」  うんうん、と頷く二人。ホッとしたように瑠璃は笑った。 「それじゃ、律華。頼むな。……二人とも、そろそろ行こうぜ」  そうね、と言って麗は立ち上がった。遅れて瑠璃も立ち上がる。  三人で通学路を歩いていくが、なかなか会話が少ない。  麗はあからさまに瑠璃と会話しようとしないし、かといって俺と話そうとするわけでもない。  仕方なく、瑠璃にこの辺の地理のことを解説していると、 「先輩」 「せんぱ〜い!」  今日は珍しく、犬猿の仲の後輩二人一緒にこちらに走ってきた。 「珍しいな、皐月と鈴が一緒に居るなんて」 「いや、洋介を待っていたらこいつが来たので。いくら待っても洋介は来ないですし、しょうがないので金宮と一緒に」  憮然とした表情で皐月は語る。それには聞く耳を持たず、鈴は物珍しそうに瑠璃を見つめている。 「先輩、どなたですか?」 「ん、あぁ……。親戚のお嬢さんでさ、ちょっと色々あって、しばらく俺の家に来ることになったんだ」  とりあえず差し障りないように言っておく。そこら辺はやはり心得ているのか、瑠璃は穏やかに笑いながら頷いている。 「島宮瑠璃です、よろしくお願いしますね」 「金宮鈴音ですです、よろしくです」 「乾皐月です。今後ともよろしくお願いします」  後輩二人に、瑠璃は優しく会釈した。 「それで、だ。皐月、洋介は何やら腹痛で今朝方病院に運ばれたらしい。病院が分かり次第見舞いに行ってやろうと思うんだが、来るか?」 「洋介先輩、食べ物にでも当たったんでしょうか」 「ま、バカは風邪を引かないっていうしね。多分、食べ物に当たったんですよ」  お前ら酷いな。思わず心の中で呟いた。いや、俺も当たったんだと思うけど。 「それにしても、洋介も災難ですよね。食べ物に当たるなんて」  もう完全に洋介の腹痛の原因は食べ物に当たったということになってしまったようだ。かなり可哀想になってきた。 「ま、そんな不幸な日もあったんだろうさ。さ、行こうぜ」  いつもと人数は変わらないものの、面子が微妙に違う朝。  その後は後輩を交えて他愛の無いことを話しながら、学校へ向かった。  朝のHRで瑠璃の紹介があった後(俺の親戚と言うことになったらしい。まぁ手頃な関係だよな)、クラスの皆との自己紹介なんてのをしたりする。  始業式明けはまだまだ本格的な授業はなく、それに加えて、入院及び転校生の大イベントの連続だ。  今日は予定表の上では確か……役員決めかなんかだったか。いやまぁ、んなもん無かったことになってるみたいだが。  そして案の定、洋介の入院が発表された時の反応はというと 「当たったな」 「佐久間だし。当たったんでしょうね」 「何食ったんだ? 賞味期限切れのラーメンとかか?」 「拾い食いだと思うな」  云々。奴の人権の無さを新参者の瑠璃にも分からせる事となった。いやはや、知らないところでこんな目に遭うとは、本当に不運な奴だ。 「相馬」 「ん?」 「面白い方なんですね、洋介という人は」 「あぁ、面白い奴だよ。あいつは」  などと語り合っていると、携帯が震えた。この時間帯ということは十中八九律華だろう。  机の引き出しに携帯を隠しつつ、メールの確認。 「市民病院の204号室ね。さんきゅ、律華」  市民病院の204号室とだけ、メールには書かれていた。 「洋介の入院している病院分かったの?」  麗が耳ざとく、それに食い付く。 「あぁ」 「それじゃ、今日の放課後は決まりね。みんなで行くんでしょう?」 「不親切にもなんで入院しているかとか書いてなかったんだよな。ま、おおかたいつも通りのプチ嫌がらせだろ?」 「行ってからのお楽しみ、って感じね。ま、良いじゃない。危篤とかじゃないみたいだし」  あいつもそういうことはさすがに事前に言うからな。ま、何事もなさそうっていうのなら、とりあえず一安心だ。 「本当に当たったのかしら?」 「当たったとしても驚かないな。ま、当たったんなら笑い話にしようじゃないか」  ニヤリ、と麗は笑った。笑い話にしてやるつもりは無いらしい。 「ま、とにもかくにも放課後を楽しみにしていましょう」  放課後、鈴は用事があるとかで見舞をパスし、結局、俺、皐月、麗、瑠璃で市民病院に向かうことになった。  学校から駅を超えての徒歩二十分ほど。意外と時間が掛かる。病院にあまり縁がない人間が多いので、こんなに時間が掛かるとは知らなかった。  市民病院の受付で204号室を告げて、俺たちは洋介の居る病室へ向かった。  洋介のくせに病室は個室、俺たちが来ると、意外そうな顔をした後、 「よお」  と、呑気に挨拶した。 「よお、じゃねぇよ……。どれだけ心配したか」 「それで? 当たったの?」 「……相馬。心配してたのか?」  心外そうに洋介は言う。嘘は吐く物じゃないな。正直になるとしよう。 「で、実際どうしたんだ?」 「盲腸」 「へ?」 「盲腸だったんだよ!!」  話を要約すると、  今朝、朝起きようとするとなんだか異様に腹が痛い。というか痛い、痛すぎる。立ち上がれない。  あまりの痛さに叫びをあげていると、お袋さんが飛んできた。尋常じゃない状態に血相を変えたお袋さんは119、そして今に至るようだ。 「つまらないわ」 「俺はつまらないとかそういう問題じゃねぇよ!」 「ま、洋介は元気そうで良かったですね、先輩。あ、瑠璃さんの紹介、したらどうです?」 「あ、そうだったな。洋介、この子が」  そう言って瑠璃が前に進み出る。 「許嫁?」 「ご名答」 「島宮瑠璃、と言います。よろしくお願いしますね」 「おぉ、よろしく。……あ、いててて……」  動くと腹に響くらしい。握手しようと身を乗り出したが、すぐに腹を押さえだした。 「無理なさらないで。ゆっくり休んで下さい」  どうも、などと言って洋介はベッドに這い戻った。 「盲腸ぐらい簡単な手術だろ? すぐに退院出来るんじゃないか?」 「いや、それがさ……」  何やら、手術自体はすぐに出来るのだが、優秀な医師達は他の重症患者に付きっきりらしく、新人に担当して貰う事になるようだ。  それ自体は洋介にとっては良かったのだが、お袋さんがちゃんとした医者に、などと派手にごねたらしく、結局いつになるかうやむやになってしまったらしい。 「でもお前、年上のナースとか大好きだろ? 超幸せな環境じゃないか」 「あ、確かに。そう言われてみると病院って悪くないな」  ……なんて切り替えの速さ。 「ま、元気そうなら何よりだ。麗、もうしばらくここに居るか?」 「洋介が可哀想だし、居てあげても良いんじゃない?」 「そうですね。急ぎの用事もないですし」 「皆さんが残るなら、私も残ります」  それなら、長居しても退屈しないように色々買ってくるとするか。 「ちょっと買い出し行ってくるわ。飲み物とかは適当に買ってくるな」 「はーい」  などと皆に送り出され、俺は病院の売店へ行くことにした。  そして、病室の外に出て早々、 「……あ、場所聞き忘れたな。ま、一階のどっかにあるだろ」  とりあえずエレベーターに向かうことにした。  来た道を引き返し、エレベーターを待っていると、程なくして一台が下りてきた。  エレベーターには、一人、綺麗な鮮やかな色の髪を無造作に伸ばした女の子が乗っていた。いや、それぐらい普通のことなんだが……。  なんだろう、なんだか微妙に違和感を感じる。 「あの……乗らないんですか?」 「あ、乗ります」  なんてちょっと変なやり取りしつつ、エレベーターに乗り込んだ。  そこで、ようやく違和感の正体に気付く。 「……足……?」  その女の子の足には、何か黒いもやがまとわりついている。  こういった物に関しての嗅覚はかなり発達している俺たち狩霊者だが、この女の子の黒いもやは、少しだが違う気がした。  ボーッとそれを眺めていると、女の子はボソッと呟いた。 「……じろじろ見ないで下さい」 「あ、いや、そういうわけじゃないんだが……。えっと、」 「ナンパならお断りなんですが」 「そうじゃなく……」 「ひ、人を呼ぶですよ!?」 「ちょっと待て、俺は無実だ。ていうか人を呼ばれるようなことをしたか!?」 「女の子を脅えさせるなんて大罪です。ていうかエレベーター、もう着いてますよ?」  ……なんということだ。俺はエレベーター街の人々の前でとんでもない漫才をしていたらしい。  かなり恥ずかしくなったので、女の子と共にエレベーター内から離脱。  俺らがとりあえず、エレベーター乗り場から離れると、女の子は滅茶苦茶嫌そうな顔で俺のことを見た。 「大恥かきました」 「それは俺もだっての……」 「それで、ナンパですか? よく見るとお兄さん、格好いいですね。まんざらでもないですよ?」 「……なんなんだよお前は……」 「というわけでナンパなら貢いで下さい」 「…………………」  あまりの傍若無人っぷりに軽く唖然。 「良いじゃないですか、ジュース一本ぐらい」 「とりあえず初対面の俺にたかるなよ……。つーか奢らせる気満々かよ……」 「ま、ここで会ったのも何かの縁ということで」  ニコニコ笑いながらちょうだい、と言わんばかりに両手を差し出す。 「いや、縁ってなんだよ?」 「まぁまぁ、こんな可愛い子とぶらぶら出来るんだから得したと思ってですね」  俺にジュース一本は奢らせないと気が済まないらしい。  俺が何かしたわけじゃないんだが……。向こうからしたらナンパされたっていう大問題なのか?  こっちからしてみると、狩霊者として食い付いてしまっただけなんだ。本能なんだよ。  まぁ、この女の子からしてみればそんなこと知ったことではないだろう。 「はぁ、分かったよ」 「わーい」  見ず知らずの女の子と売店目指してとぼとぼ歩く。120円ぐらいの出費、どうってことないさ……。菓子を買う用事もあったしな。  売店に着くと、女の子はどこからかコーヒー牛乳を持ってきた。 「それで良いのか?」 「はい。ごちそうさまです」  俺もポテチとかを適当に買い込んでいると、それをジーッと見ていた女の子が話しかけてきた。 「……病院内でパーティーするのはどうかと思いますよ?」 「個室でやるから問題ないさ」 「……あなたが患者さん? 頭のですか?」 「俺は健康体です。ダチが盲腸で入院しててさ、その見舞だよ」 「……あのですね」 「ん?」 「私、退屈なんですよ。お見舞いにもなかなか来てくれないですし、」 「……だから?」 「そのですね、ナンパしたんですし、あなたが私と午後のお茶会をするなんて言っても断る理由は無いと思うんですよ」  もうナンパは確定路線らしい。冤罪を晴らすのは諦めるとしよう。 「暇潰しに付き合って欲しい、と?」 「その通りです」  どうしたものかな。  いや、どう考えてもこの子に付き合って上げる義理は無いはずなのだが。なぜだか、お茶会も悪くないな、なんて思っている俺が居 た。 「……あ、その、無理に付き合って貰う必要は無いので……」  急に殊勝な表情になって、女の子は言った。  はぁ、と少しため息が漏れる。 「……ごめんなさい、変なこと言ってしまって……」 「いや、むっさい男よりは楽しそうだな、なんて思っただけさ。付き合うよ」 「あ、ありがとう……」  洋介には悪いなぁ、なんて思いながらも、俺は女の子と一緒にエレベーターで最上階へ。  上がっている最中、というよりかは絡まれたりしている時からだが、この子は一体どこが悪いんだろうか。  足に変なのがまとわりついている、といっても足は至って健康そうだし……。 「……足フェチ? パジャマ足に萌えるなんてなかなか素晴らしい趣味の持ち主ですね」 「……いや、違うけどな。あぁ、足とかが悪いのか?」  言ってから、直球過ぎたかとちょっと後悔した。  女の子は少し驚いたように目を見開いた後、 「……なぜに分かったのですか……? 今日は、すごく調子が良いんです。調子が悪いと足の感覚自体が無くなって、 歩くとかそういう問題じゃなくなりますからね」 「ふぅん……」 「それで、なんで分かったのですか? ……はっ、まさかストーカー?」 「違う。まぁ、なんだ、ちょっとした直感だよ直感」  それで完全に納得はしていないようだったが、女の子はとりあえずそうですか、と頷いた。 「冴え渡ってますね、直感」 「……そりゃどうも」  エレベーターが着いた。女の子に連れられて、俺は1201号室へ。そこが、女の子の病室だった。  名前が書いてある扉の札を見ようとしたが、女の子に阻まれた。 「カンニングはダメダメですね」 「へいへい……」  病室は綺麗に片付いていた。退院前日のようなものか。私物のような物は一切無く、力無い花が生けてある花瓶があるだけ。 「……昔から病院暮らしが長くてですね、趣味と呼べるようなものは無いんです」 「へぇ……」 「自己紹介でもしておきましょうか。久木織火(ひさきおりか)です」 「火を織る……?」 「親が厨二病だったんですよ、きっと」  この子、会ってきた中でも最大級の変人の部類に入る気がしてきた。自分の親を厨二病と言うのか。 「あなたの名前は?」 「法条相馬。相馬、で良い」 「なら、私のことは織火でよろしくお願いしますね、相馬君」 「あぁ、よろしく」  とりあえずお互いに挨拶し、俺は売店で買った物を入れたビニール袋からコーヒー牛乳を手渡す。 「本当に奢って貰えるなんて……」 「たかられるのには慣れてるんでね」 「いじめられっ子……?」 「違う」 「確かに相馬君はいじめられるよりはいじめてそうですね」 「いじめてもいないっての。織火は俺をなんだと思ってるんだ……」 「馴れ馴れしいですね、いきなり名前で呼ぶなんて」  ふぅ、とため息。少し疲れた。  そんな俺を見て、織火は楽しそうに笑う。 「相馬君、意外と可愛いんですね。第一印象と全然違います」  可愛いってな……。なんてことを顔色に出すのを隠しもしないでいると、 「あれ、可愛いとか言われたこと無いんですか? ふーん、周りの女性の見る目がないんですかね」  などと、織火はのたまわった。 「可愛い可愛いって撫でてあげましょうか?」 「遠慮させて貰う」 「えー」  唇を尖らせながら織火は言う。 「ま、いいや。お話ししましょう?」  その後、二人で菓子を摘みつつ彼氏彼女の有無だとか、学校の話だとか、他愛のないことを二時間ほど喋り続けていた。  俺に彼女は居ないという事を理解させるのを三十分ほど掛かり、ようやく納得して貰ったところで、俺はようやく連れを思い出した。 「……あ、わり。連れが居たの思い出したわ。今日はここら辺でお暇させて貰って良いか?」 「ん。じゃあね、相馬君」 「また今度。じゃあな」  織火に手を振って、俺は1201号室を後にした。  織火はひらひらと、最後まで手を振っていた。 「……また今度、って……。また来てくれるの? 相馬君」  洋介の病室に戻って早々に、 「遅い!!」  と、洋介と麗の怒号がお出迎えしてくれた。 「先輩、心配したんですよ? 病院で迷うなんて先輩らしくないですし」 「怖い女に絡まれたんだよ」 「……そりゃ大変だったわね。それで、お菓子とかも巻き上げられた、と」 「大丈夫でしたか? やっぱり、世の中には怖い人が居るんですね……」  麗は空っぽのビニール袋をジトッとした目で見つめている。 「麗、そんな顔ばっかりしてるとそんな顔になっちまうぞ?」 「余計なお世話。ま、色々変な話も聞けたし、私たちは満足したわ。そろそろ帰らない?」 「洋介、悪かったな。今度は家から持ってくるわ」 「なぁなぁ、その怖い女ってどうだった?」 「……その話はまた今度な。それじゃ、お暇しようぜ」  俺と麗と瑠璃は橋近くで皐月と別れ、暗くならない内に家へ戻った。門の前で麗と別れ、瑠璃と一緒に家へ入る。  瑠璃はシャワーを浴びに行き、俺は一足先に居間へ戻った。  居間では律華が一人でお茶をしていた。 「あら、お帰りなさい」  テレビを眺めながらお茶をすする図は、実年齢より二十歳ほど老けて見える。 「洋介、意外と元気だったわね」  俺の方は見ずに、律華は言った。 「全く、心配して損した」 「手術はいつになりそうって?」 「お袋さんがごねてたりでいつになるかは分からないんだと。ま、近い内にやってくれるだろ」 「ま、しばらくは私も手伝うわ。そういえば……」  瑠璃がシャワーから戻ってきた。 「明日は日曜だけど……。二人でデートにでも行ってきたら?」 「で、デートって……」 「そういうお付き合いはしていた方が良いんじゃない? お互い、この先何があるか分からないんだし」 「あの……相馬が都合が良いなら、私は別に構いませんけど……」  ふむ、と呟いておいて、少し考える。晩飯はもう適当に済ませるとして、だ。  織火にまた会う約束もしたし、洋介に差し入れもしてやれていない。  来週からは授業も始まって、なかなか自由な時間も取れなくなるし、どうしたものか……。 「わり、今日洋介に差し入れも出来なかったし、明日はもう一回見舞に行くわ」 「……このヘタレめ」  律華の恨み節が聞こえたが気にしない気にしない。  だが、瑠璃には申し訳ない事をした。 「ごめんな、瑠璃」 「あ、いえ、気にしないで下さい。これから先も、機会はいくらでもあると思いますし」 「……出来の良い子で良かったわね、相馬。それで、今日のご飯は何かしら?」 「出前」 「まさか明日も出前じゃないわよね?」 「明日は適当に弁当でも買ってくるわ」  と、言った途端の律華の嫌そうな顔。まぁ、申し訳ないとは思うが……。 「俺以外に料理が出来る奴が居ないんだ。しょうがないだろ?」 「……あ、なら、今日はともかく、明日は私が食事を作りましょうか?」  瑠璃のおずおずと言った申し出に歓喜したのは他でもない、律華だった。  その時、チャイムの音がした。 「麗、か。さ〜って、何頼むかな……」  確か出前のチラシは新聞と一緒にしていたはず。まぁ、たまには良い物でも頼もうじゃないか。  と、思って取り上げたチラシはピザ屋のチラシだった。うん、やっぱり値段が大事だよな。  結局、その日の夕飯はピザ三枚となったのは当然の話だった。  そして、麗と律華がさんざん俺をこき下ろしたのも当然の話。  こき下ろしつつも、ちゃっかり俺や瑠璃よりも多くピザを食べまくっていたのも当然の話であった。  次の日、めんどくさかったので朝飯を一律パン食にして、俺は九時に家を出た。  コンビニでしこたま菓子を買い込んで、俺は市民病院に急いだ。  もう病室を聞く必要もないので、受付をパスしてエレベーターで二階に上がって、204号室へ。  病室に顔を出すと、洋介はまずそうにお盆の上の食事を突っついていた。 「よ」 「んあ?」  物珍しそうに、洋介は俺のことを見た。 「お前……本当に相馬? なんで俺に二日連続で見舞に来てくれるんだ?」 「お前、人のことを人でなしのように言うな。昨日はなんだかんだで差し入れできなかったからな、ほれ」  洋介の好きなスナック菓子やら俺チョイスのなんだか妖しげなアメリカ産のお菓子を詰めたビニール袋を投げ渡す。 「さんきゅ。ていうかお前、こんな朝早くから来て、ずっとここに……」 「じゃあな。手術の日取りが決まったら教えてくれ」 「え、あ、おい! ちょっと待てよ、なんか世間話の一つぐらい……」  洋介を無視して、俺は足早に204号室を後にして、1201号室を目指した。  1201号室の前に立って、軽く二度ノック。どうぞ、と声がしたので、俺は部屋に入った。  昨日とは打って変わって、織火は大人しくベッドの上に居た。 「なにやってるんだ?」 「ボーッとしてるんです」 「ふーん。……今日は出歩かないのか?」 「生憎なことに今日は足の感覚が無いので」  そう言われて、俺はベッドの下の方を見る。  一段と、黒いもやのような物は濃くなっていた。 「しょっちゅうなのか?」 「ま、一週間に二三日、って所ですかね。慣れてるんで最近は気になりませんけど」 「気にならないって……。足の感覚無いのは異常だろ?」 「最初こそは気にしてましたけど。人間、慣れるとどれだけ異常な事でも受け入れられるようになるんですね。相馬君も、そういうこ とありませんか?」 「……確かに、そう言うこともあるかもしれないな」  俺にとっては、この世界自体とかかな。普通の人間なら到底受け入れられないだろうが、俺にとってはもう当然のことになってしま った。  文字通り、死んでも死にきれない世界、か。改めてだが、どれだけ神様って奴は悪趣味なんだろうな。ま、居ないと思うが。 「相馬君?」 「……ん、悪い。ちょっと考え事してた」 「人間、考えたい時ってありますよね」  そう言って、ふぅとため息を吐いてから、窓の方を見やった。 「今年は春なのに、なんか夏っぽい暑さですね。うちわなんか必須じゃないですか。この暑さが続けば、セミなんかもすぐに出て来そ うですね」  あー、暑い暑いと織火は手で自分を扇ぐ。 「冷たい物でも買ってきてやろうか?」 「相馬君って怖いぐらい優しいですね。実は紳士の皮を被った野獣さんですか?」 「……じゃ、買ってくるのやめよっかな」 「冗談ですよ。相馬君はとっても優しい聖人君子だって事ぐらい分かってます」 「……そこはかとなくけなされている気がするんだが。ま、良いか……。何飲みたい?」 「アイスが食べたいです」 「味は?」 「バニラ。ハーゲンダッツじゃなかったら、犯されるって言って人呼びます」 「…………」  どこから突っ込めば良いんだろうか。  それが人に物を頼む態度なのかと突っ込むべきなのか、さっき聖人君子って言っただろうがと言うべきなのか。  俺はほとほとため息を吐きつつ、売店に使いパシリに行くことにした。  織火のアイスと、適当に俺の飲み物を適当に買って戻ろうとした時、 「あら、相馬じゃない」 「……なんでお前が」  先にレジに並んでいた麗が俺に気付いた。  列の先頭では患者らしきお爺ちゃんと店員さんが何やら揉めている。少し、時間は掛かりそうだ。 「なんでお前が、はこっちの台詞よ。洋介は相馬がポッと出て来て、さっさと行っちゃったなんて怒ってるし……。どこ行ってたの?」 「あいつ、つまらないことでエネルギー使ってるな……。ちょっとした野暮用だよ」 「洋介や皐月ならともかく、私がそんな台詞で騙されるとでも?」  ……そう言ってふふん、と不敵に笑った。思わずむかついてしまうぐらい、不敵な笑みだった。  確かに、あいつらよりかは遥かにこいつの方が御しにくい。  つい最近、こいつ並にとんでもない奴に出会ってしまったりもしたのだが。まぁ、そんなことは言う必要はないな。 「麗、」 「ま、私はあなたの保護者でも何でもないから。とやかく言うつもりはないけど。相馬だけでどうにもなくなりそうになったら、頼ってね?」 「……そんな重い事なんて無い。心配するな」 「ま、そういうのも抜きとして、何やってたかぐらいは教えなさいね」 「考えておくよ。……ていうか順番来てるぞ」 「あ、」  店員のジトーっとした目に顔を真っ赤にさせながら、麗は慌てて代金を払って、足早に売店を後にした。  俺もさっさと買い物をして戻るとしよう。  織火の部屋に戻ると、出て行った時と同じポーズで窓を眺めていた。  俺は袋からアイスを取り出し、投げ渡す。 「ほれ」 「どうもです」 「アイスって意外と高かったんだな。今日の分の金は無くなったぜ」  まぁ洋介への差し入れをしこたま買いまくってしまったからなのだが。自分の分の飲み物まで買ってしまったのもあったからなんだが。 「そんなに貧乏人だったのですか。あんな大きな事を言うから、大金持ちなのかと思ってましたよ」  まぁ、一般人から見れば俺は大金持ちかも知れないが……。  俺は一日に使う金を月初めに決めている。今日は学校始まって最初の日曜だったから、少々奮発したんだが。 「少々、予想外の事態が続きすぎだな、やれやれ。……やっぱ今年は厄年か」 「相馬君ってそういうの信じてるんですね」 「んー。まぁ、厄年ぐらいは、な。神様とか幽霊とかは信じちゃいないが」 「私も神様は信じていませんね。幽霊は、信じてますけど?」  そう、と俺は気にする素振りも見せずに答えておく。  だが、次の織火の台詞は聞き捨てならないものだった。 「だって、私の足が動かないのは幽霊のせいですから。だから、動かないのは仕方がないことなんですよ」 「…………」  俺は返事をせずに、もう一度、織火の動かない足に目をやった。俺を見据えながら、ぽつりと織火は呟く。 「相馬君、まさか見える人だなんて言いませんよね?」 「まさか、そんなわけないだろ」  見える人とか通り越してぶっ倒す人などとは、口が裂けても俺は言えなかった。  が、俺の視線は足にまとわりつく黒に向いてしまっている。……何が、見える人なんだ? 違和感を感じて、織火の方を見やる。  織火は無表情に、俺と同じ場所を見つめていた。 「……それじゃ、相馬君は何を見ているんでしょうね。私と同じ物を見ているんだとしたら、それは十分見える人だと思いますよ?」  俺は、思わず言葉に詰まる。これ以上ここにいたら、要らないことまで喋ってしまう気がする。そう思って、別れを告げた。 「じゃあな。今度来る時は、足が動くことを祈ってる」  織火は一つ、頷いただけだった。  それから、学校が始まった後も、俺は洋介への見舞だと称して織火の元へ、言い方は悪いかもしれないが、足繁く通っていた。織火 は歩けたり歩けなかったりだったが、一緒にいる時間は楽しかった。  他愛のない学校の話をしたり、俺が一方的に喋っているような感じになってしまっていたが、織火は嬉しそうに聞いていた。  麗達の追求も、もう諦めたのか、一切と言って良いほど無くなっていた。  そして、そんな見舞が日課となったある日。 「よ」 「……あ、」  1201号室には織火と……見慣れない、女性が居た。  悪い意味ではなく、ふっくらとした綺麗な人。穏やかに笑いながら、織火と何やら話している。入ってきた俺に気が付いたのか、女 性はこちらに振り返った。  とりあえず、織火に笑いかけてから女性に一礼。十中八九、お母さんだろう。お母さんは、俺に目で一礼してから、織火に尋ねる。 「織火、この人が?」 「うん。相馬君、この人が私のお母さんです」 「あ、どうも……」 「織火と仲良くしていただいているようで、ありがとうございます。……それじゃ、私はお暇しようかしら。織火、迷惑かけてはダメ よ?」 「わ、分かってるから。……それじゃ、またね、ママ」 「はい、それじゃあね」  お母さんが出て行ってから、俺は少し居辛くなって、何もない病室に視線を泳がせていた。したり顔で、織火は言う。 「意外とウブなんですね、相馬君。女を甘いマスクで誤魔化して、死なれようが余裕だぜ、的な方だと思ってました」 「……おい、俺は聖人君子なんじゃなかったか?」 「女の子は舌先三寸で男を惑わすんです。それにしても、相馬君……」 「ん?」  織火は言いにくそうに口をつぐんだ後、 「今日も今日とて私のことに来るなんて。よっぽど暇なのか、……」  ジーッと織火は俺の目を見つめてくる。  どれくらい見つめ合っていたか。いや、せいぜい三十秒ぐらいだろうが、織火は目を逸らした。 「いやん」 「何なんだよお前は! はぁ……。今日は?」 「調子は良いですよ。院内散歩だなんてしゃれ込みますか?」  軽い調子で織火は言うが、足の状態は格段に悪くなっていた。俺と会うようになってから、急に歩けない日が増えたらしい。最近も 、足が動かないのはよっぽど良い時で、腰から下の感覚がなくなったりもしたようだ。  俺は足の方に目をやってから、言わなければならないことを言うことにした。 「いや、今日はちょっと顔を出しに来ただけだから。俺のダチが今日退院するんでな。最後の挨拶に来たんだ」  洋介のお袋さんがようやく納得するような医者を、病院は連れてきたらしい。一瞬兄貴だったら、と身構えたが、普通のおっさんだ ったそうだ。そんなわけで簡単な手術を終え、術後の経過も順調ということで、晴れて今日退院となった。  洋介はナースのメアドを聞けなかった、などとごねていたが、なんだかんだで嬉しそうだった。俺としても、病院なんて白い監獄に は進んで居たくもない。 「……最後の、挨拶ですか」 「それと、」  ポケットをまさぐると、目的の物はすぐに見つかった。小さな巾着袋を取り出して、織火に投げ渡した。 「これは?」 「お守りだ」 「実は中に恋文が……」 「見ても良いが……御利益が無くなるぜ?」 「……そんなに御利益があるなら、期待させて貰います」  そして、ありがとうと笑って、織火はお守りを枕元に置いた。俺は携帯を見やる。そろそろ面会時間も終わりか。 「わり、そろそろ時間だ。……それじゃ、また今度」 「はい、また、今度」  病室を出て、ふぅ、とため息。ドアの陰に隠れていた、皐月と目が合う。その反対側には瑠璃の姿。  思わず肩をすくめてしまった。 「お前ら……」 「洋介の所に来ていない間は、ここに来ていたんですね。先輩」 「そうだよ」 「優しいんですね、相馬。……それで、この病室の方は?」  ……なんだか目が笑っていない気がする。でもきっと気のせいだな。 「超怖い女だよ。……とんでもない憑き物持ちのな」  そして、俺はおもむろに学生鞄を開けた。本に混じって、きらりと何かが光を反射する。 「ただの憑き物ならアレと、こいつで十分だからな」 「お金は取るんですか?」 「これは俺の私闘だからな。自己完結するから問題ない」  そう答えて、俺は鞄からナイフを取り出した。俺がガキの頃から使っているような、逆手持ちの代物だ。さすがに人前でぶんぶん振 り回すわけにもいかないので、すぐに鞄に戻す。 「先輩、ナイフ一本の刃、折りましたよね?」 「俺の側に置き続けてたからな、それなりに力はある代物だ。刃物は低級霊ぐらいなら元々、十分寄せ付けないだけの力もあるしな」 「それに、私が一応一定の手順に従って清めましたから。よっぽど、下手なお札より効果があるはずです。それにしても、相馬の力っ て凄いんですね。既にナイフ全体が結界として機能してましたよ」 「それで、先輩。これからどうするんですか?」 「……あの子の足を治す」  その時、ぞくり、と背筋を嫌な汗が伝った。殺気は下から、だが、着実に登ってきている。 「……先輩」 「はぁ……」  皐月は微笑んだ。そして、制服の内ポケットから短剣を一本、取り出した。 「僕に任せて下さい。先輩に剣を向ける奴は、全部僕の敵ですから」  自信満々に皐月は語るが、相手は恐らくあの金髪。俺が刀を持っていて、ようやくまともに戦えるという相手を、皐月に任せて良い のだろうか。  ただ、今日を逃せば織火の元に来る必要もなくなってしまう。もしかしたら、織火はあのままになるのかもしれない。一人の友人と して、俺は 「任せる。瑠璃」 「人除けですか?」 「頼む」  こくりと頷き、皐月は瑠璃と連れ立ってエレベーターの方へ向かった。  俺は世話好きな後輩と瑠璃に軽くため息を吐きつつ、どこか身を隠せる所を探すことにした。  その頃、皐月と瑠璃は六階に居た。眼前には、徒手空拳なのにも関わらず、異様な殺気を放つ女が一人。だが、その殺気とは正反対 の、澄み渡った笑顔を浮かべていた。 「また逃げたのかぁ……。うーん、嫌われたかな?」 「先輩にストーカー仕掛けるなんて良い度胸だね。死にたい? それとも地獄に堕ちたい?」  皐月は女と同じような、良い笑顔を浮かべながら言う。凄みを利かせたその言葉は、普段の彼からは信じられない強い物だった。  が、女は臆さない。 「ま、遊び相手には申し分ないかな」  女の手に握られる幅広の西洋刀。そして、それを床に突き立てた。地面に現れ出る文様。それは、瑠璃でさえも知らないような、狩 霊者の物とはとても思えない物だった。 「あれは……?」 「あなた、魔術師ですか?」  瑠璃が警戒心むき出しで尋ねる。  女は一つ、頷いた。 「世界最後の悪魔払いの従順な人形って所かな」  女はまた笑う。夕暮れ時のように、閉ざされた赤の中で微笑む女は、美しいというよりは不気味だった。 「そこの美少年。安心して。この中だったら、何を派手にやっても良いんだよ? ここは時間とか、空間とか、そういうのからは隔絶 された場所だから」 「ここで死体が上がったらどうなるんです?」 「さぁ……。殺したらさっさと逃げてるから、分からないかな。ま、逃げなきゃいけない所を見ると、ロクな事がないんだろうね」  そううそぶき、女は剣を向けた。  それに応え、皐月も両手に短剣を握る。そして、皐月は、飛んだ。  頭上からの剣戟を咄嗟に防ぎ、女は飛びかかってきた皐月を振り払う。空中で一回転しつつも、皐月はその場に着地した。  女は追撃の手を緩めない。体勢を整える前に、皐月に斬りかかる。上段から一気に振り下ろす重い一撃、それを二本の短剣で防ぐ。 「つっ……」 「遅いよ」  起き上がる前に、皐月の腹部に叩き込まれる女の蹴り。ピンポン球のように、皐月は空を舞い、先ほどとは打って変わって不格好に 床へ叩き付けられた。  苦痛の声が漏れるが、それを気にすることなく女は皐月の上で剣を振り上げた。  が、その剣が振り下ろされることはない。 「それ以上はおやめになった方が良いと思いますよ」  瑠璃の手に握られているのはボーガン。放たれた矢は、女の足下に突き刺さっていた。それを見やり、女は呟く。 「霊木の矢……」  矢は床で煙を上げている。その辺りだけは、赤色の風景ではなく、普通の病院の床のようになっていた。 「結界を、切った……?」 「そういうこった」  そして、女の背後から声がした。  女は途端に笑顔になり、振り返る。 「やっと来たんだ、相馬」 「うちの後輩に手を出してんじゃねぇよ。狙いは俺だろうが」  ありったけの怒りを込めて、女に言い放つ。が、女の表情は変わらない。 「やっぱり、身内を襲った方が手っ取り早かったね。その方が、君は戦ってくれると思ってたから」  いい加減、怒りで沸騰しそうだった。意識を集中させたわけでもないが、一陣の風が舞う。  風は女の頬を切り裂いた。鮮血が散ったのにも関わらず、女は微笑む。 「そう、それで良いんだよ」  もう武器はない。ナイフは無いし、あるのは四つの四肢と風だけだった。  女はもう、皐月と瑠璃に興味は無いらしい。一直線に俺の方へ歩み寄ってきた。手にはもちろん、剣が握られている。だが、不思議 と殺気が感じられなかった。  俺とすれ違う刹那、俺に耳を寄せて囁いた。 「一週間後、郊外のモデルルーム展示場で待ってる。時間は深夜二時。来なかったら、」 「……はっ、いい加減付きまとわれるのにも飽き飽きしてたところだ。良いぜ、そのケンカ、買ってやる」 「そうこなくっちゃ」  女は笑い、そのままその場を去っていった。程なくして、辺りの風景も普通の病院の物に戻る。  気が付いたら膝が笑っていた。ははは、だらしねぇ……。 「相馬……」  心配そうに駆け寄ってくるが、とりあえず手で制する。 「大丈夫だ。……一つ区切りが付いたと思ったらこれかよ」 「先輩、ありがとうございます……」 「後輩を殺されてやるわけにはいかないからな。無事で何よりだ」 「……先輩の方は?」 「決着は付けてきた。大丈夫だ」  二人と別れた後、とりあえず巡回の看護婦をやりすごすためにトイレに隠れた俺は、この階に人がいなくなったのを確認すると、抜 き足差し足で外に出た。  夜の病院という雰囲気が出まくっている中を、俺は織火の病室にまで取って帰る。  ノックも無しに、病室に滑り入る。  織火は寝ていた。律儀にも、お守りを握ってくれている。ちょっとそれに嬉しくなっていると、 「夜這いです?」 「……ちゃんと寝てような?」  織火は暗闇の中でぱっちり目を開けていた。 「何のご用です? こんな時間に」 「……ま、仕方がないか。ちょっと痛いかもしれないから、覚悟してくれ」  了解は取らずに、俺は織火の足に触れた。黒いもや……足に埋め込まれた異物に皮膚越しに触った時、静電気のような痛みが走った。 「つっ……」 「やっぱり見えてたんですね、相馬君」 「お前、何もしようとしなかったのか?」  ふっと、寂しげな笑みを浮かべた。 「私はただ、蝕まれていくのが見えているだけですから。多分、物心付く前からこれは私と一緒だったんだと思います。だから、何か しなきゃ、と思う頃にはそれが普通になってたんです。最初は足の指先ぐらいだったんですよ? それが今や、腰の辺りにまで掛かろ うとしてます。相馬君と出会ってから、日に日に大きくなってきてますしね。いずれは、」 「きっと、体全体が飲まれてしまうんでしょう」  淡々と語られる言葉が、酷く悲しかった。この子は無くす事を怖れていない。何があったか、それは知ったことではないが。 「怖くないか?」 「死ぬのは楽そうだな、ぐらいには思います」 「そうか。……お前みたいな奴はな、少しぐらい苦労するべきなんだ」  断りも入れず、俺はポケットから取り出したナイフの切っ先を、足に突き立てた。 「!?」  驚いてはいるが、痛くはないらしい。少しだけ、感覚がないことに感謝をしてしまった。 「お前は良いかもしれないが、俺は良くないんだ。……俺は友達、って呼べる奴が少ないんでな。一人でも、俺が助けられるなら、助 けたい」 「……根暗なんですか?」 「減らず口が言えるなら構わないさ」  ふぅ、と一つため息。傷口からしみ出す鮮血の中に、時折黒い物が混じっている。その正体に気付くのに、時間は掛からなかった。 「髪の毛……」 「へ?」  俺は傷口から出て来た遺物を、織火の目の前に示す。 「ほんとだ……」 「髪の毛とか爪とかは呪いの物として使われることは多い。身近にあって、かつ強力な物に成りうるからな。これがいつ、どこでお前 の体の中に入れられた物かは分からない。ま、これで終わりじゃないだろうよ」  傷口からそれからも、何本も何本も髪の毛が出てくる。吐き気を催すような光景だったが、我慢して異物が出切るのを待つ。 「これは立派な呪いだ。幽霊じゃない」 「……どう違うんです?」 「呪いは、生きている人間が行う物だ。死人にそんな芸当は出来ない」 「いや、死人じゃなくて、幽霊……。こう、えくとぷらずまーてきな」 「んなもん、この世には存在しない。人間は死んでからもこの世に縛られ、狂うか、消えるか、それだけだ」  お守りを握っておけ、と織火に言い、ナイフを更に深く突き刺す。下手を打てば、この傷口が見つかりかねない。言い訳出来そうな 大きさに留めないと。 「この呪いは悪質、だが、一方で効率的だ。お前の体自身を入れ物と対象を兼ね合わせるんだ。丑の刻参りの藁人形は知ってるだろ?」 「はい。あの、神社の木にわら人形と写真とかを一緒に打ち付けるって奴ですよね?」 「その藁人形がお前、そして呪われるのもお前だったって事。本来は藁人形に釘を突き刺すという行為で呪いを飛ばすのを、その藁人 形自身を呪ったってわけ」 「……私を藁人形呼ばわりしないで下さい」 「怒るのはそこかよ。……そろそろか」  俺は浅く突き刺したナイフを引き抜く。黒いもやは、段々と薄まり始めていた。  が、消えてはいない。体の中はさすがに伺い知ることは出来ない以上は、この黒いもやで呪いの状態を確認するしかない。 「俺は医者じゃないからな。……仕方ないか」  ナイフの刃に、意志を籠める。呪いの大元を貫け、と。俺は、これだけしか知らない。 「俺は狩霊者。こちら側の安寧を守るためにここにいる。……こういうのは専門外だが、」  織火に、一つ笑いかける。 「俺は人だ。友達を救うのに、専門も何もないよな」  思い切り、先ほど入れた傷口に、ナイフの刃を突き刺した。刃に宿る意志は力となり、織火に巣くう呪いを穿つ。不可視を切る、不 可視の刃。 「秘剣、花鳥風月」  感じた確かな手応え、すぐにナイフを引き抜いた。飛び散る鮮血、織火の顔に痛みが走る。  そして、ナイフの刃には……。 「……気分悪い物を作りやがる」  本当に、本当に小さな、胎児が突き刺さっていた。そして、ナイフの刃は溶け出してきている。二重の意味で吐き気がした。  織火が呆然と、ナイフに突き刺さった胎児を見つめている。 「それは、」 「見ての通り、胎児の死体だ。お前にかけられた呪いの本体だな。さっき出て来た髪の毛なんか比じゃない。これは呪い一言で表せる 悪意なんか通り越してる」 「胎児って……。なんで、私に……」 「織火」  目を見ながら、俺は織火の名前を呼ぶ。 「……二つ、選んでくれ。お前の足はもう、普通の人間と同じなんだ。このまま、お前は普通の女の子として生きていくことが出来る 。俺と出会ってから、今日までのことを忘れるならな。もちろん、この呪いを作った野郎は、必ず俺が見つけ出して終わらせる。だか ら、」 「もう一つは?」 「……俺がやることは変わらない。呪いを作った奴をしばきあげて、二度とこんなことさせないようにする」 「楽しそうですね。……もちろん、その場には私も居るんですよね?」  そう言って、本当に楽しそうに織火は笑った。 「相馬君、キャラ濃いですから。忘れようにも忘れられません。それに忘れたくないです。初めての友達なので。それに、私もその呪 いをかけた張本人を張り倒したいですしね」  ふぅ、と、俺は思わずため息を吐いていた。ただ、  嬉しかった。だから、笑っていたのだと思う。 「そうか……。なら、これからもよろしくな」  はい、と答えた時、ようやく思い出したのか、 「あ、足痛いですね。看護婦さん呼ぶとしましょう」  しれっと言うが、今この場に看護婦を呼ばれるともの凄い困ったことになるはずだ。それに、 「下も騒がしいな……。それじゃ、呼ばれる前に退散しますかね」 「あ、相馬君。メアド教えて下さい」 「メアド? 電話番号じゃなくてか?」 「電話なんてめんどくさいです。メールの方が手っ取り早いですしね。ほら、早く。あ、メアドの出し方分からないなんて言いません よね?」  うん、と頷く。目を見開いて、人じゃない物を見るような視線が突き刺さる。 「……それじゃ、携帯貸して下さい。どうせパスも付けてないでしょうし、良いですよね」  と言うままに俺から携帯を引ったくり何やら指を素早く動かしている。それを見ながら、俺は少し気になっていることを尋ねた。 「お前、携帯の使い方なんてどこで覚えたんだ?」 「んー。私、ブログとかにコメント付け逃げするのとか好きなので。あ、はい、終わりました。……本当にメール使ってなかったんで すね」  ブログ……あー、ネットの日記って奴か。よく分からないけど。 「ま、メル友一号は私って事でお願いしますね。あ、それじゃいい加減、もの凄く痛いので呼びます」 「……おう。じゃあな」  と、俺が長口上を語り終えたのは、病院から出て駅前に着いたぐらいからだった。 「先輩にメールを使わせるなんて……。あ、それじゃ、僕のメルアドも……って、やり方分からないんですよね。僕がやりますから、 見てて下さい」  皐月はそう言って、とりあえずやり方を見せてくれた。まぁ、意外とそこまで複雑じゃないな。これならすぐ覚えられそうだ。 「メールの打ち方は……」 「電話番号宛の奴で慣れてるから、そこは大丈夫だな。それよりお前……」  あれだけの使い手と戦ったのだから、少しぐらいケガをしていてもおかしくはないだろうが……。皐月はケガは無い、と言い張って いた。 「瑠璃、本当に大丈夫なんだな?」 「私が見ていた限りで、酷い手傷は。向こうも相応に手加減していたようですし」 「手加減、ね。……ま、疲れているだろうから、今日は早く寝ろよ」 「はい。それじゃ先輩、お休みなさい」  そう言って、皐月はたったったと来た道を戻っていった。毎度の事ながら、申し訳ないなぁと思う。  それを見送って、俺と瑠璃は橋を渡り始める。 「メールできないのって、そんなに問題なのかね」 「……出来ないんですか」 「電話番号宛のは出来る。だけど、ほら、Eの付くメールは出来ないな」 「まぁ、確かに驚く人は多いと思いますけど……。それに、そのメールって携帯会社が同じじゃないとダメじゃないですか」 「ま、そこは不便だと思ってたな。電話すりゃ済む話だとは思ってたけど」 「いつでも電話に出れる人っていうのはなかなか居ませんからね。これを機に、相馬もステップアップをした、ということなんでしょ う」 「あ、家に戻ったらメールアドレス教えますね。早く帰りましょう?」 「だな」  あとは他愛のないことを話していると、案外すぐに家に着いた。珍しく、自分でもよく喋ったなと思うんだが、なんだろう、Eメー ルが使えて興奮していたんだろうか。  まぁ、とにかくその日は、Eメール解禁を律華達に派手にお祝いされつつ(わざわざ麗まで呼んで)夜は更けていった。 「……律華」  そして、朝日が昇る頃。  俺は律華を部屋に呼んでいた。 「なに?」 「……人の体を利用した呪術。んなバカなことをやっている奴は存在するのか?」  包み隠さず、直球勝負。ある程度織火に起きたことは言っておいたので、律華が事態を察するのは早かった。 「居ることには居ると思うわ。だけど、」 「火を織るんじゃなく、禍を織る。故に織火」 「……その子自身が呪いの道具ということね。まずは織火、って子の出自の調査かしら?」  いや、と俺は首を横に振る。律華は少し驚いた後、 「あら、一般人にそこまで頑張るの? ……らしくないわね」 「友達だからな」  これまた、いや、さっきよりも織火は驚いた表情になった。 「そ。なら、相馬に任せるわ。私も、法条の家の伝手を使って危険な呪術師の事は調べて貰うから」 「頼む。……あ、」  携帯が枕元で震えている。メールの着信、織火からだった。 『初メールゲットですよね? 相馬君、足の傷は上手く誤魔化すことが出来ました。それと、何やらすぐに退院できるようです。退院 祝いとは言いませんが、今度、食事でもいかがでしょうか?』  なんて返した物かなどと考えていると、ジーッと律華は携帯の画面を見つめているのが目に入った。俺は慌てて携帯を隠す。 「な、何見てるんだよ!?」 「……立派なデートのお誘いじゃない。ひゅーひゅー」 「デートとかじゃない。ただダチと飯食いに行くだけだ。……だから見るなって!」 「だって私、お目付役だし?」 「疑問系で言うな! ……良いだろ、別に」 「まんざらでもない、と。麗ちゃんも鈴ちゃんも、そろそろ焦らないとダメかもしれないわね〜」  ニヤニヤしている律華を無理矢理部屋に押し出すと(案外抵抗は激しくなかった)俺はホッとため息を吐いた。すっごく、心からの ため息だった気がする。 「……ごめんな、織火」  一つ謝り、俺は、『了解。楽しみにしてる。詳細は、また今度』と返した。  そして、それから一週間。  俺は、駅前のファミレスに来ていた。皆でいつもたむろしているファミレスだ。そして、今はいつもの面子とは違う人物を待ってい るわけなのだが。 「おっそいな……」  携帯の画面をチラチラ見やるが、メールも電話も来る気配がない。あ、いや、さっきから震えまくっているのだが、それは鈴からの 着信なので気にしない。全く、どこから情報が流失したのやら……。  ただ、なんだかんだでここに辿り着かないようだから、麗達がそれなりに上手くやってくれているらしい。いや、本当に鈴がアホな 子なのかもしれないのだが。 「そーま君」  とんとん、と肩を叩かれる。こんな回りくどいことをする奴は、俺の知り合いには居ない。少なくとも、同級生の知り合いには。  振り返ると、そこには見違えた織火が居た。病院に居た頃の色のない格好ではなく、女の子らしいお洒落をしているのは正直、かな り新鮮だった。 「……可愛いな」 「え、え……? い、いきなり何なんです? そ、そんな、お世辞言われてもですね……」 「冗談やお世辞のが良いならそれでも良いさ。……そういや」  織火の肩には、俺にとってはよく見慣れた物が下がっている。……御影高校の鞄だった。制服姿じゃなかったのでパッと見じゃ気付 かなかったが……。 「なんで、それ?」 「あぁ、これですか。いや、ご覧の通りの代物ですよ。今度行く学校の鞄です。制服もあるんですけど、まぁ、今日は着てきませんで した」 「御影高校に通うのか……?」 「はい。何か問題でも?」  問題があるとは言わないが、俺が気が気で無いというかなんというか。 「……いや、ご覧の通り俺もそこの生徒でな」 「あぁ、そういえば相馬君、御影高校の制服着てますね。……コスプレですか?」 「確かお前と初めて会った日もこれを着ていたつもりなんだが。俺もそこの生徒なんだよ」 「おぉ〜。あ、失礼させていただきますね」  俺の向かいに座るのではなく、織火は俺の隣に座った。突然の行動にめちゃくちゃ焦る俺。心の中では冷や汗ダラダラだ。 「男の子の隣ってのも悪くないですね。相馬君だからでしょうか? ……ま、とにかくとして」  何食べよっかな〜、と織火は俺の肩越しにメニューを見やる。病院ではここまで接近したことが無かったので、漂ってくる織火の髪 の匂いなんて新鮮だ。  こんなこと考える俺って……変態に分類されるのか……? 「甘い物食べて良いです?」 「ん、あぁ。構わない。何、時間はあるからな」  この後には面倒くさいストーカーとの決着が待ってるからな。英気を養っておくとしよう。